2014年7月4日金曜日

イトゥルベの移籍金ってどれくらい凄いの?セリエAの移籍金高額ランキングと 比べてみた

 エラス・ヴェローナ所属の21歳のFWフアン・マヌエル・イトゥルベは、母国アルゼンチンやパラグアイでの経験を持ってFCポルトへ加入、2013-2014シーズンのエラス・ヴェローナでの8ゴール5アシストのパフォーマンスが認められ、今夏の移籍市場の大目玉となった。

 彼に最初に目を付けたユヴェントスは、まず2300万ユーロのオファーを出した。
 ユーヴェのこのオファーに対抗して、フィリッポ・インザーギ新監督の強い意向もあって彼の獲得を画策するミランが2500万ユーロを提示すると、ユーヴェも負けじと2500万ユーロないしは2100万ユーロ+クァッリァレッラorジョヴィンコと金額を上積みし、さらにはイトゥルベ本人との個人間合意を取り付けた。
 カカーの放出を決めて来季の高額な年俸支払いを回避したミランは、個人間合意のハンディキャップっを埋めるためにその分を移籍金に積み、2800万ユーロに提示額を上げた。ユヴェントスもヴチニッチやペルーゾの放出により得た収入を付け足して、オファー金額を2650万ユーロにした。早ければ6月に終わると思われていたイトゥルベ獲得の交渉は思いのほか長引き、それに比例して移籍金の額も少しずつ上がった。7月最初の時点の一部の報道では3000万ユーロを越えたとされていた。
    その後、ユーヴェとの競争に勝てないと判断したACミランがこの競争から撤退し、ユーヴェの独走状態に入ると再び移籍金は下落、2600万+200万ユーロのボーナスで落ち着くことになった。アトレティコ・マドリードの横槍もあったが、彼らの提示金額は2400万ユーロであり、イタリアでのプレイを望むイトゥルベ本人の意向を踏まえれば、ここでユーヴェの2600〜2800万ユーロのオファーを飲むのが、全ての人が幸せになる構図であったため、残すは契約書と公式発表だけという所まで来ていた。
    しかし、突如、ユーヴェはコンテ監督が辞任を表明、空白の新監督の構想が分からない中でイトゥルベを含めた全ての交渉中の選手の移籍が白紙に戻った。その後、ユーヴェはアッレグリ新監督を迎え入れるも時すでに遅し。陰からユーヴェとミランの争いを見ていたローマが3100万ユーロのオファーを提示して、一躍獲得レースのトップに躍り出た。
    そして今日、イトゥルベのローマへの移籍が公式に発表された。ローマがヴェローナに支払ったのは2200万ユーロだが、ボーナスやその他の支出を含めるとその金額は2850万ユーロ。ローマの"人事統括部長"サバティーニの底知れない手腕が発揮された。

 この移籍金がどれほどの額なのか。
 ここで、イタリアのチームからイタリアのチームへ移籍した過去の事例を見てみたい。

イタリア国内移籍金高額ランキング
選手名fromto移籍金
1エルナン・クレスポパルマラツィオ2000年5500万
2ジャンルイージ・ブッフォンパルマユヴェントス2001年5420万
3クリスチアン・ヴィエリラツィオインテル1999年4500万
4マヌエル・ルイ・コスタフィオレンティーナACミラン2001年4200万
5リリアン・テュラムパルマユヴェントス2001年4150万
6パヴェル・ネドヴェドラツィオユヴェントス2001年4120万
7フィリッポ・インザーギユヴェントスACミラン2001年3700万
8エルナン・クレスポラツィオインテル2002年3600万
9ガブリエル・バティストゥータフィオレンティーナASローマ2000年3250万
10中田英寿ASローマパルマ2001年3100万
11アレッサンドロ・ネスタラツィオACミラン2002年3050万
12セバスチャン・ヴェロンパルマラツィオ1999年3000万
13アントニオ・カッサーノバーリASローマ2001年2850万
14エメルソンASローマユヴェントス2004年2800万
15フランチェスコ・トルドフィオレンティーナインテル2001年2650万
16ヴィンチェンツォ・モンテッラサンプドリアASローマ1999年2500万
16フェリペ・メロフィオレンティーナユヴェントス2009年2500万
16アルベルト・ジラルディーノパルマACミラン2005年2500万
16マルシオ・アモローゾウディネーゼパルマ1999年2500万
20ズラタン・イブラヒモヴィッチユヴェントスインテル2006年2480万
(金額の単位はユーロ、Transfermarktを参照)

    イトゥルベはカッサーノと同立の13位に入る。イタリア・サッカーの直近10年の凋落の歴史を物語るように、この上には1999年から2002年の事例しか無い。
 イトゥルベの来シーズンのチームは、紆余曲折を経てローマとなったが、ユヴェントスとミラン、そして獲得を決めたローマは10年来、もしくは15年来の大判振る舞いを、この若く才能のある選手の獲得のためにしたのだ。
(それにしても中田英寿すげえ・・・)

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