2014年7月16日水曜日

アッレグリとピルロの確執についての誤解

   コンテ監督の電撃的な退任から間も無く、ユヴェントスの新監督が誰になるかが話題になっている。マンチーニ、スパレッティ、さらにはジネディーヌ・ジダンまでもが候補に上がる中で、最右翼は元ACミラン監督のマッシミリアーノ・アッレグリだ。2011年にミランをイタリア・チャンピオンへと導いた彼の手腕に疑いの余地は無い。しかし、ユヴェントス・ファンには一つの懸念材料がある。

   2011年の初夏、ACミランには優勝の歓喜と共に、途方もない失望が訪れた。クラブの象徴であるアンドレア・ピルロの退団だ。2010-2011シーズン、度重なる怪我によって悩まされた彼は6月の契約満了をもって、ライヴァル・チームのユヴェントスへ移籍した。
   そこには二つの理由があった。一つは、ミランの経営方針に対する違和感だ。ミランは、30代のベテラン選手とは1年ずつの契約延長しか基本的にはしない方針を持っている。当時はピルロだけでなく、ネスタやガットゥーゾ、インザーギ等の選手も来季の契約を持っていなかった。将来的な安定を望むピルロはミランに対して3年契約の締結を打診したが、断られ、一方で32歳の彼に3年契約を持ちかけたユーヴェへと移籍を決めた。2014年6月にユーヴェでの契約を終えることになっていた彼は、ユーヴェからの2年の契約延長の申し出を受け入れたが、ユーヴェのこの方針が彼には合っていたのである。
   ピルロがミラン退団を決めたもう一つの理由は、アッレグリ監督だ。アッレグリ監督の戦術は、ピルロが最も愛するポジションに、ピルロのような司令塔ではなく、アンブロジーニやファン・ボメルのような潰し屋を起用する。今年1月まで率いていたチームでは、デ・ヨングをこのポジションに配した。怪我が明けても、ピルロは「中盤の底」ではなく、現在のユヴェントスで言えばヴィダルやポグバがプレイするポジション、インサイドハーフで起用されることが多かったが、これに彼は不満を持ったようである。

    要するに、アッレグリ新監督の就任に対してユヴェントス・ファンが持つ懸念材料とは、アッレグリとピルロの「不仲」なのだ。
   しかし、ここには一つの誤解があるように思える。アッレグリは決してピルロを低く評価しているわけではないのだ。ピルロ自身もインタビューで言っている事だが、アッレグリはとにかく勝利に拘る監督であり、その目標の実現の為に、他の数多のイタリア人監督と同様に、まずは守備を重視する。失点をしなければ負ける事は無いという信条を強く持っているからこそ、守備の要となる「バイタル・エリア」にピルロのような、守備を不得意とする選手を配する事を、彼は好まないのだ。だが、同時に彼には、点を取らなければ試合に勝てない事もよく知っている。そして、守備を徹底しながらも点を取るために必要なのが、ピルロのような「レジスタ」であり、彼はピルロを守備の負担が軽くて済むポジションへ持っていった。
   アッレグリとピルロの旅が終わって3年が経ち、世界のレジスタは皆、アッレグリがピルロに望んだポジションであるインサイドハーフでプレイしている。ピルロの後釜としてミランへやって来たアクィラーニやモントリーヴォも、このポジションで活躍してきた。加えて、ジダンやカカーのようにトップ下としてプレイすることが難しくなった2010年代のサッカーにおいては、エジルやオスカル、スナイデル、メッシといった選手すらも、後方のインサイドハーフの領域でパスを受けて、ゲームを作り出そうとしているが、今年のワールド・カップを思い出して頂ければ、この風潮が分かるかと思う。

   アッレグリは00年代に司令塔の革命を起こしたピルロに、2010年に再びサッカー界の未来を託そうとした。そして、2014年のワールド・カップ。ピルロは出場した3試合のうちの2試合で、かつてアッレグリの望んだポジションでプレイをし、自身のアイデンティティを微塵も遜色することなく、最大限の貢献を果たした。
   23歳で革命を起こした彼が、サッカー選手としては晩年の35歳で再び革命を起こすかもしれない。ピルロの後継者であるヴェッラッティは、いち早くことインサイドハーフでプレイをしているが、アッレグリ体制の新生ユヴェントスで「インサイドハーフのレジスタ」の振る舞い方というものを後輩たちに教える機会が今、彼の目の前にある。何よりも、ベテランもベテランという年齢に達してから、新しいサッカーを始める選手というのは何とも粋ではないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿