2014年12月20日土曜日

アッレグリがイタリア・サッカーに苦言「サッカーは、芸術家が華麗に舞うショーであるべきだ」

 ユヴェントス監督マッシミリアーノ・アッレグリがイタリア紙La Repubblicaに答えたインタビューが大変興味深く、面白いものだったので紹介したい。
 アッレグリはかつてミランを指揮していたとき、戦術的な理由からピルロを先発から外したことがあった。チャンピオンズ・リーグのバルセロナ戦では、ほとんどのフィールドプレイヤーを自陣に残す守備的な試合を展開した。そのため、多くの人がこの監督について、「人よりも戦術を重視する人」、「守備的な監督」といった印象を強くを持っているようだ。しかし、このインタビューに目を通せば、彼がそうしたイメージとは正反対の人であることがよく分かるだろう。



アッレグリさん、あなたは家に帰っても、やはりチームのことをずっと考えているのでしょうか?
「いつもそうしているわけではないよ。映画を見てリラックスをしている時に突然、素晴らしいアイディアが思いつくことはよくある。逆に、試合のビデオを見ながら考えを巡らせることもあるけど、そうした時に限ってダメだ。ぼーっとしながら自分だけの世界に入り込んだときの方が、良いインスピレーションに出会いやすい。」


あなたのことを「オタク」と言う人もいるけど、それはどう?
「それは違うと思う。僕はもっと社交的な人間だしね(笑)一日中じっとしながら解決策を考えることなんて僕には到底できないし、むしろさっきも言った通り、良いインスピレーションを受けるのは何も考えてないときだ。夜中に思いついた策を採用し、練習メニューを変えることもあるよ。実際の僕はデータよりも感覚で生きる人間に近い。」

じゃあ分析みたいなことはしないの?
「少なくとも言えることは、「スタンドから見た方がゲームをより良く理解できる」なんてことは全く馬鹿げているということ。僕たちはコートの中で、状況をよく見つめ、認識しなくてはならない。つまり、サッカーというものは、ただ戦術や戦略といった分析に終始するものではないというのが僕の持論だ。」

サッカーは科学ではないと?
「科学が好きな人は多くいるけど、僕からすればサッカーに科学が入り込む余地はない。サッカーはショーだ。そのショーにおいて活躍するのは、当然、科学者ではなくアーティストだ。サッカーから詩を取り除き、創造性を抑圧したことこそが、イタリアが犯してきた最大の過ちだ。創造性のないサッカーは、コンピューターでギャンブルをするのと同じで、ちっとも面白くない。」

ではあなたは自身の仕事をどう考えている?
「僕がやるのはチームに組織を与え、アイデンティティを生み出し、それらを明らかにすること。攻撃をしているときこそ、守備を意識するように選手たちには言っている。サッカーにおける監督の重要性を軽視することはできないが、監督の仕事というのは選手たちがよりプレイしやすい環境を作ることであり、それ以上でも以下でもない。サッカーとは106×68メートルの芝生の上で、選手が自分の足で走り、選手が自分の足でボールを蹴り、そのボールが予期しない方向に転がるスポーツだ。このスポーツでは、試合前に考えた計画がそのとおりに進むことはありえない。」

試合前の計画は必要ではないと?
「そういうことではない。でも、サッカーはもっと難しい。例えば、テヴェスがボールを持っていたとしよう。彼の左右には彼からのパスを待つ二人の選手がいる。しかしそこにスペースはない。こうしたときは咄嗟のインスピレーションがモノを言う。試合前に立てた計画が全く役に立たない瞬間だ。計画はただの繰り返しに過ぎないからね。もちろん、大まかなプランやプレイのサンプルを多く持つことは非常に有益であり、そこでは僕のミランにおける三年間の経験なども役に立つはずだ。しかし、もしもイブラ、セードルフ、ピルロ、テヴェス、ネスタ、チアゴ・シウヴァ、それからボヌッチのような選手がいるなら、彼らを信頼するに越したことはない。彼ら自身を、そして彼らの創造力を信頼するのだ。」

イタリアのフットボールは衰退しているのだろうか?
「イタリアの試合を見るとき、まず最初に紙にポジションと選手を書き込めば、その後に一時間くらい寝てしまっても何の問題はない。選手たちは、寝る前と全く同じところにいるのだから。しかし、ヨーロッパではそうは行かない。選手たちの動きを理解するのが非常に難しい。加えて、ヨーロッパで活躍する選手たちは、こうした複雑なフィールドでプレイする術を子供の頃から学んでいる。イタリアにはないことだ。」
「僕は、ガレオーネ(ウディネーゼやセリエBのチームなどで指揮をとった監督)のような人に師事することができ幸運だった。彼は確かに監督としてあまり良い成績を残してはいないかもしれないけど、少なくとも僕に、さっき話したようなフットボールの楽しさと難しさを教えてくれた。イタリアの子どもたちが通うサッカースクールは今は養鶏場のようになっている。イタリアのユース代表は、最もシステムに合う選手を呼ぶ傾向にあるが、一方のドイツはまず優れた選手を召集してから、彼らをどのようにプレイさせるかを考えるのが普通だ。違いはここにある。サッカーは変わったんだ。バスケットボールのようにね。」

バスケットボール?
「かつて、ダン・ピーターソン(イタリア・バスケットボール・リーグSerie A1のチームなどを指揮した監督)の1-3-1ディフェンスがバスケットボール界を席巻したことがある。この戦い方を誰も知らなかったから、ピーターソンのチームは無敵だった。それが細かく研究されると、ボールを持つ時間を増やし、そして鍵となる選手を少しでも自由にし、最後は彼に託すことが有効になった。バスケットボールは戦術のスポーツから、個人の力に頼るスポーツに変わったのだ。同様に、サッキはサッカーに革命を起こし、彼によってサッカーは次の段階へとアップデートされた。サッキの前の時代は、映像を見て分析をすることが大事だった。三年という月日をかけてゼーマンの4-3-3を研究したこともあった。しかし、サッキを境に選手たちの才能に頼ることが、サッカーでは重要になった。もはや戦術でサプライズを起こすことはできないのだ。」

新しいサッカーで大切なことはなんだろう?
「常にアイディアを巡らせながらプレイすることだ。そのためにはたくさん走らなくてはならない。」

これは、イタリアが失っているヨーロッパのメンタリティーなのだろうか?
「イタリアでは、すべてを単純にしてサッカーをしようという傾向があるが、これが近年では裏目に出ている。ヨーロッパのサッカーはよりダイナミックで、僕達はそれに屈してきた。僕たちは敵からよく学ばないといけない。創造性、プレイメイカーの役割をまた復活させないといけない。サッキによって、フットボールの方法論は変わった。あまりにも計画的で、分析を細かくするようなサッカーはもう時代遅れなんだ。」

外国の選手たちはなぜあれほど走るのだろう?
「単純にスペースがあるからだろう。イタリアでこうした試合ができるのは、拮抗したチーム同士の試合のときだけだ。この前のユヴェントス対ローマとかね。あの試合は美しかった。タフで、技術的な見どころが満載だった。しかし他の試合では、どちらかが攻め、どちらかが守るというような試合が横行している。」

こうした状況に危機感を持ったチームはイタリアにある?
「モンテッラのフィオレンティーナかな。」

ユーヴェにはこの多様性はある?
「僕たちはよく働き、よく組織され、そして自己犠牲をすることも厭わない。ユヴェントスは非常に機械的で、それこそがこのチームの強さの秘訣であり、イタリアにおいて勝利を確実なものにしてきた。しかし、これから次のステップへ進むためにはなにか新しいもの、つまりは創造性のある個人の力が必要だ。」

選手の補強ということ?
「必ずしもそういうわけではない。今の選手たちだけで、次のステップへ行くことは十分に可能だ。僕のチームにいる選手たちはもっと自信を持っていい。ユヴェントスは素晴らしい選手たちで溢れているのに、彼ら自身は自分の強さに気付いてないようだ。僕たちはまだ100パーセントの力を出せていない。僕は選手たちにこのままのパフォーマンスを続けたら許さないと、常日頃から伝えている。彼らの潜在能力は計り知れないものだ。チャンピオンズ・リーグを勝ち進むことだって難しくないはずなんだ。」

あなたは厳しい監督?
「「厳しい」が「怒鳴る」ということを意味しているのなら、僕は違う。僕は、怒鳴り叫ぶことがなにかを変えるとは微塵も思ってない。恐れは何も生まない。しかるべき方法で、落ち着いて話された言葉こそが、物事を変える力を持っている。」

チャンピオンズ・リーグの抽選結果についてはどう思う?
「バルセロナみたいなチームが来なくて良かったよ(笑)もちろん、ドルトムントを低く評価するつもりはない。確かに彼らは今苦しんでいるようだけど、彼らには確実な力がある。二月になればそれは分かるだろう。でも、ユヴェントスはチャンピオンズ・リーグで大きな仕事をするつもりだ。」

2014年8月25日月曜日

イタリアの家族経営の伝統とカルチョ

 イタリアの産業には「家族」が存在する。地中海の中心に位置するイタリア半島は、ラグーナやアルプス山脈という天然の要塞と古代ローマの遺産を背景に中世の時代に西洋最大の商業都市となっていたが、その頃の、弟が船に乗ってギリシア・エジプト・アジアの産品を持ち帰り、家で留守番をする兄がその産品を売り利益を生み出す形態が、後のメディチ家に発展していった。彼らの商売は徹底的な家族経営によって成り立っていた。家族という最も信頼の置ける人を身内に固め、他の家族と取引をするのがイタリアの伝統的な生き方だ。一方でオランダを始め、イギリスやフランス、そしてアメリカでは、近代に入り、国家という絶対的なバックアップを持って、家族を超えたグローバルな経営を実現させていった。
 イタリアの家族経営は現在でも色濃く残っている。イタリアのあらゆる産業の核は未だに家族のままである。
 
 以前、私はフィレンツェの服飾業界の記事を読んだ。
 (変貌するイタリアのファッション勢力図
 フィレンツェは、ミラノ・コレクションと並ぶピッティ・イマジーネ・ウォモというファッション展が年に2回開かれるほどの大ファッション都市だ。最新のトレンドを生み出すミラノ・コレクションとは対称的に、このピッティは時代に流されないクラシックな伝統を重んじるファッションに定評があり、そこで作られる服は熟練職人の手作り、車が買えるような値段のスーツも珍しくない。この職人の技術は親から子へと受け継がれ、余所者がそこに入ることは自分の家族を捨てて彼らの家族に加わることを意味し、簡単なものではない。そうして、規模は小さいながらも質の高い品物を生み出す産業がイタリアでは多分野において数百年に渡り継承されてきた。
 しかし、この産業は今や斜陽の時期を迎えている。大量消費・大量生産の時代にあって、彼らはユニクロやH&Mに押されており、顧客であった高級階層すらもルイ・ヴィトンやアルフレッド・ダンヒルなどに流れている。一着のスーツを作るのに半年の時間をかけて、胸囲や足の長さだけでなく性格や趣味・趣向をも採寸するイタリア産業はマニア向けのものとしか見なされなくなってしまったのだ(もちろん、その中でもアルマーニやドルチェ&ガッバーナのように高級ブランドとして成功を収めた例もたくさんあるが)。
 私が読んだその記事には、以下のような記述がある。
「イタリアの問題はファミリーです。創業者が素晴らしいブランドを作ってもその後成長しないのは、企業を継ぐ2代目以後がほかの企業で修行を積んだり、海外で勉強したりといったグローバルな経験がなく、小さな老舗ブランドの文化から抜け出せないからです。」

 なるほどイタリアらしい衰退の仕方である。カルチョの世界でも、これと全く同じことが言えるのではないだろうか。
 ユヴェントスはアニェッリ家、ACミランはベルルスコーニ家、インテルナツィオナーレ・ミラノはモラッティ家、その他多くのクラブがこのように「家族」によって運営されている。その家族が経営する企業がクラブのメインスポンサーとなり、高い独自性を有する。もっとも、敵対関係というものは時に自分の首を締めることに繋がるから、16世紀のイタリア戦争(アルプス山脈以北の巨大諸国家がイタリア半島の支配に乗り出した戦争)の際にヴェネツィア共和国がフランスに対抗するために宿敵ミラノ公国と手を組んだことがあるように、ユヴェントス、ミラン、インテルの3クラブは時として同盟関係を持ち、このクラブの間のトレード移籍が行われるのもよくあることだ。たとえミランのエースがユヴェントスに移籍したからといっても、スタジアムから豚の頭を投げられることもなければ、その選手は心の底からのリスペクトを双方のチームから送られ続ける。これらが、イタリアの風土なのだ。
 しかし、スーツや帽子、靴などの他産業と同じく、良好と敵対とをバランスよく使い分けるご近所付き合いに基づいたイタリア・サッカーの家族的発展は、今は窮地に立たされている。
 家族の枠を飛び越えたグローバルな経営を行う他国のビッグクラブとは経済状況に絶望的な差が開き、レアル・マドリードやバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティー、チェルシー、パリ・サン・ジェルマンといったチームが100億円規模の支出をも厭わない戦略を立てる一方で、ユヴェントス、インテル、ミランは、ここ5シーズンの間に2000万ユーロを越える買い物は片手で数えられるほどしかしていない。ミランがバロテッリ獲得のために2400万ユーロを叩いたことはあっても、彼らはその移籍金を未だにマンチェスター・シティーに払い続けているのがイタリアの現状であり、これに伴いイタリアのヨーロッパでの存在感も年を追うごとに小さくなっている。

 イタリア・サッカーは700年来続いてきた国家的伝統である家族経営を辞めるべき時なのだろうか。
 2013年、インテルの会長はマッシモ・モラッティから、インドネシアで「インターナショナル・スポーツ・キャピタル」を経営するエリック・トーヒルに交代した。ローマもセンシ家が2011年に経営陣から降り、今ではイタリア系アメリカ人のジェームズ・パロッタが会長職に就いている。家族経営からグローバル経営への方針転換を行ってからまだ交代して1年も経っていないインテルは、今後の成果に期待していくところだが、すでに会長交代から3年半が経つローマは数千万ユーロ級の移籍を次々と実現させている。昨季の彼らの快進撃を見れば、やはり家族経営は時代遅れの遺物と思わざるをえないところがある。

 だが、アモーレ(愛)に溢れたイタリア流家族経営は、それはそれでセリエAの大きな魅力の一つである。ユヴェントスやミランも家族経営をやめて、アメリカの有名大学を卒業した天才実業家グループの指揮の下で莫大な放映権収入と共に新しい道を歩み始めれば、あっという間にチャンピオンズリーグの上位を独占することができるかもしれないが、それは「イタリアの復権」を意味するわけではない。
 先ほど引用した記事は、最後、次のように締めている。
「自社の得意な部分を活かして確実なプロジェクトを立て、それに投資する有機も必要です。メイド・イン・イタリーはもはや一部の特別なものではなく、世界的に通用する一大産業なのですから」

 度々このブログでも挙げていることだが、イタリアの戦術は守備に限らず、あらゆる物がその後各国のチームに模倣・再現されている。2014年ワールド・カップを賑わせた5バックの布陣も、ユヴェントスやウディネーゼ、ジェノア、インテルといったクラブがここ数シーズンでチャレンジしてきたものの一つであり、またイタリアの戦術を導入するためにイタリア人監督が各地に招聘されていることこそが、メイド・イン・イタリーのサッカーが決して色褪せていないことの証左となり得るだろう。
 要するに私は、金で見繕ったクラブに、アモーレで作られたイタリアのクラブが勝利する姿を見たいのである。

2014年7月20日日曜日

ネドヴェドのインタビュー「コンテ辞任とアッレグリについて。スアレス噛み付き事件で彼が取った行動とは」

Tuttosportにネドヴェドのインタビューが掲載された。19日に「コンテ退任の真相」として一部が紹介されたものの続きである。

「アントニオ(・コンテ)は、チームとの確執ではなく、監督を続ける意欲が無くなったから辞任をした。すでに5月には辞任の意向を私たち幹部に告げていたんだけど、話し合いをしてバカンスの間にもう一度考えることになった。だが戻ってきた時も、彼の決意は変わっていなかった。
メディアで言われていることは何一つ正しくない。彼は単純に疲れていただけなんだ。昨シーズンの終わりにそう言っていたとはいえ、それでも彼の決断に私たちは驚いたよ。だけど、メルカートの戦略は何一つ変わらない。つまり、私たちはチームに重要な選手を一人も売るつもりはない。」

これに加えてTuttosportに20日に掲載されたインタビューは以下のとおり。
「私は彼の決断の内実をキチンと理解している。ユヴェントスにおける監督業を辞めた時、彼は疲れ果てていた。そこには、彼はどんなことも怠けようとしなかったという理由がある。家でビデオを見ながら研究をすることや、選手たちに何をして欲しいかを説明すること、スタッフに会うこと、全てを彼は一生懸命にやった。この完璧主義が3シーズンの時を経て、彼の大きな疲労に繋がっていった。
私たちにとって、コンテの辞任は大きな損失だ。コンテは偉大な監督であり、彼のやってきたことを私たちは賞賛している。彼が素晴らしい仕事をしてきたからこそ、私たちは彼がいなくなってとてもさみしく感じている。
ワールド・カップの間、全てのチームがその後の事(新シーズンに向けたメルカート)の準備をしていた。だから、コンテが辞任をしたとき、多くの人がその原因をメルカートの失敗だと言ったのだろう。だが、私たちの計画は最初からずっと明白だ。それは全ての優秀な選手を残留させるということ。もちろんヴィダルとポグバはここに含まれている。
ただし、大きな移籍話が来た時はそれについて考えないといけない。それが私たちの仕事である。けど、最初から彼らを売るつもりはない。私たちはチャンピオンズ・リーグで勝ち上がろうとしているわけだから、私たちの計画に無い選手しか放出はできないんだ。」

アッレグリについて
「私たちはコンテの辞任の後にすぐに行動に出た。厳しいことだけど、コンテがいなくなったことが大きな損失だからこそ、私たちはアッレグリのような優秀な監督を一刻も早くトリノに連れてこなくてはならなかった。短い時間に監督を見つけることは簡単なことではなかった。
私たちには二人の候補がいた。アッレグリとマンチーニだ。マンチーニはイタリア代表の監督になるという話があったから、私たちはアッレグリと合意をした。彼は素晴らしい戦術的知識を持っており、勝者である。」

キエッリーニについて
「最初、キエッリーニがスアレスに噛まれた事に対してまるで子供のように振る舞った時、私はそれを見て気分が悪くなった。私はマロッタに聞いてから、すぐにキエッリーニと直接話をしたよ。しかし、ジョルジョはあの後にすぐに反省したみたいで、FIFAにスアレスの罰則期間を短くするように願い出ていた。キエッリーニはこのように知的で素晴らしい選手だが、スアレスもまた、偉大な選手だよ。できることならすぐにユヴェントスに連れてきたいね。実際に2年前に私たちは彼を獲得しようとしていたけど、私もそれには乗り気だった。彼は偉大な選手である。それで充分だ。」

2014年7月16日水曜日

アッレグリとピルロの確執についての誤解

   コンテ監督の電撃的な退任から間も無く、ユヴェントスの新監督が誰になるかが話題になっている。マンチーニ、スパレッティ、さらにはジネディーヌ・ジダンまでもが候補に上がる中で、最右翼は元ACミラン監督のマッシミリアーノ・アッレグリだ。2011年にミランをイタリア・チャンピオンへと導いた彼の手腕に疑いの余地は無い。しかし、ユヴェントス・ファンには一つの懸念材料がある。

   2011年の初夏、ACミランには優勝の歓喜と共に、途方もない失望が訪れた。クラブの象徴であるアンドレア・ピルロの退団だ。2010-2011シーズン、度重なる怪我によって悩まされた彼は6月の契約満了をもって、ライヴァル・チームのユヴェントスへ移籍した。
   そこには二つの理由があった。一つは、ミランの経営方針に対する違和感だ。ミランは、30代のベテラン選手とは1年ずつの契約延長しか基本的にはしない方針を持っている。当時はピルロだけでなく、ネスタやガットゥーゾ、インザーギ等の選手も来季の契約を持っていなかった。将来的な安定を望むピルロはミランに対して3年契約の締結を打診したが、断られ、一方で32歳の彼に3年契約を持ちかけたユーヴェへと移籍を決めた。2014年6月にユーヴェでの契約を終えることになっていた彼は、ユーヴェからの2年の契約延長の申し出を受け入れたが、ユーヴェのこの方針が彼には合っていたのである。
   ピルロがミラン退団を決めたもう一つの理由は、アッレグリ監督だ。アッレグリ監督の戦術は、ピルロが最も愛するポジションに、ピルロのような司令塔ではなく、アンブロジーニやファン・ボメルのような潰し屋を起用する。今年1月まで率いていたチームでは、デ・ヨングをこのポジションに配した。怪我が明けても、ピルロは「中盤の底」ではなく、現在のユヴェントスで言えばヴィダルやポグバがプレイするポジション、インサイドハーフで起用されることが多かったが、これに彼は不満を持ったようである。

    要するに、アッレグリ新監督の就任に対してユヴェントス・ファンが持つ懸念材料とは、アッレグリとピルロの「不仲」なのだ。
   しかし、ここには一つの誤解があるように思える。アッレグリは決してピルロを低く評価しているわけではないのだ。ピルロ自身もインタビューで言っている事だが、アッレグリはとにかく勝利に拘る監督であり、その目標の実現の為に、他の数多のイタリア人監督と同様に、まずは守備を重視する。失点をしなければ負ける事は無いという信条を強く持っているからこそ、守備の要となる「バイタル・エリア」にピルロのような、守備を不得意とする選手を配する事を、彼は好まないのだ。だが、同時に彼には、点を取らなければ試合に勝てない事もよく知っている。そして、守備を徹底しながらも点を取るために必要なのが、ピルロのような「レジスタ」であり、彼はピルロを守備の負担が軽くて済むポジションへ持っていった。
   アッレグリとピルロの旅が終わって3年が経ち、世界のレジスタは皆、アッレグリがピルロに望んだポジションであるインサイドハーフでプレイしている。ピルロの後釜としてミランへやって来たアクィラーニやモントリーヴォも、このポジションで活躍してきた。加えて、ジダンやカカーのようにトップ下としてプレイすることが難しくなった2010年代のサッカーにおいては、エジルやオスカル、スナイデル、メッシといった選手すらも、後方のインサイドハーフの領域でパスを受けて、ゲームを作り出そうとしているが、今年のワールド・カップを思い出して頂ければ、この風潮が分かるかと思う。

   アッレグリは00年代に司令塔の革命を起こしたピルロに、2010年に再びサッカー界の未来を託そうとした。そして、2014年のワールド・カップ。ピルロは出場した3試合のうちの2試合で、かつてアッレグリの望んだポジションでプレイをし、自身のアイデンティティを微塵も遜色することなく、最大限の貢献を果たした。
   23歳で革命を起こした彼が、サッカー選手としては晩年の35歳で再び革命を起こすかもしれない。ピルロの後継者であるヴェッラッティは、いち早くことインサイドハーフでプレイをしているが、アッレグリ体制の新生ユヴェントスで「インサイドハーフのレジスタ」の振る舞い方というものを後輩たちに教える機会が今、彼の目の前にある。何よりも、ベテランもベテランという年齢に達してから、新しいサッカーを始める選手というのは何とも粋ではないだろうか。

2014年7月14日月曜日

ヴィダルの問題のコメントが大胆に誤訳誤解されている可能性

 ユヴェントスのMFアルトゥーロ・ヴィダルは、4000万ユーロ以上の多額の移籍金と引き換えにマンチェスター・ユナイテッドへ移籍するのではと噂されている。英国発信のこれらの噂に対してイタリア各紙は、「何のコンタクトも無い」「噂の域を出ない」と否定的な態度を貫くが、このほど、ヴィダルのコメントが彼の母国チリのニュース・メディアLa Terceraによって報道された。

 このコメントを、とある英国メディアが以下のように翻訳して、記事を作った。
Yes, I heard these rumours, but I don’t want to talk about it. For the moment I am just enjoying my vacation, then when I return to Italy we’ll see. Manchester United? I am relaxed, but of course who wouldn’t be pleased with interest from one of the best clubs in the world?”
ああ、噂については聞いているよ。けど、これについては僕は話したくない。今、僕はバカンスを楽しんでいるから、イタリアに戻ってから状況を見たい。マンチェスター・ユナイテッド?僕は今落ち着いているけど、一体誰が世界最高のクラブの一つからの関心に喜ばないんだ?

 このコメントがTwitterなどで拡散され、ヴィダルが移籍を示唆しているのではないかと議論されている。一日のインターバルを置いて、日本でもこの英文記事が和訳された形で広がった。本当にヴィダルは移籍をしたいのであろうか?イタリア・メディアはこの記事が出た直後に、またもユヴェントスとマンチェスター・ユナイテッドとの間にヴィダル移籍に向けた接触が何も無いことを報道したのだが。

 では、ここで原文を読んでみたい。
Vidal se encuentra de vacaciones en Chile y este sábado se refirió a la posibilidad de dejar Juventus y confesó que "he escuchado los rumores, pero no he hablado más del tema. Estoy disfrutando las vacaciones y cuando vuelva a Italia veré que pasa. Estoy muy tranquilo y a todos nos gustaría estar en uno de los mejores equipos del mundo". 

 私はスペイン語を勉強したことが無いので正確な翻訳はできないが、その兄弟言語であるイタリア語と母言語であるラテン語の知識を踏まえて、これの最後の一文を解釈してみる。
私は今落ち着いている。そして、すべての人が世界最高のクラブの一つにいたいと思うだろう。

 調べた所、 太字で表したestarという言葉は、イタリア語sono/essere、ラテン語sum/est、英語のbe動詞にあたる言葉である。中学校で習った英語を思い出していただければよいが、be動詞の意味は「いる・ある・である」が基本であり、"I have been to Tokyo twice." などの一部の場合に限っては、「行く」と解釈される。
 ラテン語やイタリア語で、sonoやsumが「行く」と解釈されることは英語と同様に稀であり、おそらくはスペイン語でもそうだろう。
 加えて言えば、英語でbe動詞を「行く」と解釈する場合は、方向や進路を表す前置詞toが後続しなくてはならないが、今回の言葉でestarの後ろにあるenという前置詞は英語inとほぼ同義で、要するに「~に、~の中に」といった、既存の場所にそのまま存在し続けることを意味する言葉である。

 これらを考慮して、最後の一文を完全に単語を置き換える形で英訳した場合は、
(I) am very quiet/relaxed and all of players will/would be in one of the best teams.
とするのが適切であろう。


 イタリア・メディアでは、このヴィダルのコメントの当該部分を以下のように訳している。
Sono molto tranquillo e a tutti piacerebbe stare in una delle migliori squadre del mondo.
私は今とても落ち着いており、全ての選手は世界最高のチームの一つに残りたいと思うだろう。 

 スペイン語もイタリア語も全く読めない人でもお分かり頂けると思うが、スペイン語によって話されたヴィダルのコメントの最終文とイタリア語のこの文章は、さすがは兄妹言語であり、tranquiloとtranquillo、a todosとa tutti等、非常によく似ている語が同じ箇所で使われている。
 逐語訳がされたこのイタリア語訳文の中で唯一、例外がstareだ。一人称複数(私たち)に対応したessere動詞(be動詞)のsiamoや、三人称複数(彼ら)のsono、スペイン語の場合でもそうであるが仮定法的用法としての原型essereではなく、英語のstayと同義のstareをここで使っている。stareの意味が「(その場所に)とどまる、残る」であることを考えれば、イタリア・メディアはヴィダルのコメントを「私は世界最高のチーム(ユヴェントス)に残りたい」と解釈して報じているのだ。

 ヴィダルの言う「世界最高のクラブの一つ」がユヴェントスなのか、マンチェスター・ユナイテッドなのか、どちらにせよ彼は差し障りの無いように、曖昧な言い回しでインタビュアーの質問に答えた事には違いない。だからこそ、マンチェスター・ユナイテッドへの移籍に前向きであると捉えるのは、あまりに強引ではないかと私は思う。


【補足】ヴィダルのインタビューの最終文を「仮定法」と解釈した場合
 estarが原形動詞であるため、この文が仮定法であると解釈することは正しいと思われる。しかし、注意しなくてはならないのが、主語が「私」ではなく「全ての選手」となっていることだ。
 主語が「私」であるならば、「現在平凡なチームであるユヴェントスの所属している私が、もしもマンチェスター・ユナイテッドのような世界最高クラブの一員になれたら最高だ」という意味合いになるだろう。しかし、今回の主語は「全ての選手」だ。つまり、「一介のサッカー選手であれば、ユヴェントス/マンチェスター・ユナイテッドのような世界最高のクラブの一員になることを望んでおり、私は今満足している/マンチェスター・ユナイテッドに行きたい」の両方の解釈が取れるのだ。
 文学作品でも芸術作品でもないので、このような文法的解釈の検討は恐らく意味をなさないのだろうが、兎にも角にも、ヴィダルのコメントをマンチェスター・ユナイテッドへの移籍の示唆と捉えるのはあまりにも早計なのである。

2014年7月6日日曜日

セリエA新シーズンの注目の若手選手アンドレア・べロッティ

 毎シーズン、「期待の若手」と呼ばれる選手がいる。昨シーズンはサッスオーロのドメニコ・ベラルディとアレッサンドロ・フロレンツィなどになるのだろうか。その期待に応えられた選手はさらなるビッグクラブへ移籍し、トップ代表に招集されるなど、スター選手へと一歩一歩近づいていく。3年前、セリエBで得点王になったインモービレはワールド・カップのメンバーに選出され2試合に出場、今年6月にはドイツの強豪ボルシア・ドルトムントへ1900万ユーロで移籍した。

 2014-2015シーズンの「期待の若手」は誰であるか。
 エラス・ヴェローナから3000万ユーロ前後の高額な移籍金でユヴェントスないしはACミランに移籍するであろうフアン・マヌエル・イトゥルベはその筆頭となる。ACミランとプロ契約を結んだ16歳のFWマストゥールも、定期的に試合に出られるかはまだ分からないが期待してみたい。ACミランで言えば、MFのクリスタンテとサポナーラも注目の選手だ。またユヴェントスが2年前、ブッフォンの後継者として獲得したGKニコラ・レアーリが今シーズン、満を持してセリエAに初挑戦する。先を越された同年代のバルディやペリンに劣らない活躍をできるのか、目を離すことができない。
 そんな中でも私が特に興味関心を持っているのが、パレルモのFWアンドレア・べロッティだ。

 先に言うと、私はまだ彼のプレイを見たことがない。ここに書くこと以外、彼のことは何も知らない。だからこそ、彼のことが気になる。早く彼のプレイを見てみたいという、そんな気持ちを抱いている。
 彼を知ったのは、U21イタリア代表のメンバーを見ていたときだ。インモービレ、デストロ、ボリーニ、ガッビアディーニを輩出した次の世代の選手について知りたいと思い、調べていた。20歳前後の選手が集まっているこの世代の代表には、ベラルディを除けば、すでにセリエAで大活躍をしているような選手がいるわけではない。ただし、大半の選手はビッグクラブに所属している。ユヴェントス、インテル、ミラン、ローマを筆頭に、下部組織やレンタル移籍など何らかの形で彼らにツバが付いている。しかし、その中でもこのベロッティは異質である。
 この観点から、まずは彼の経歴について見てみたい。ベルガモ州ロンバルディ地方に生まれた彼の本格的なキャリアは、その地で二番目の大きなクラブであるアルビノレッフェで始まった。なおこの地方の最大のクラブは、優秀な若手を多く輩出することで有名なアタランタになる。
 2012年3月にプロデビューを果たし、その後は途中出場で定期的にプレイをした。翌2012-2013シーズンはチームのエースへと成長し、レガ・プロ・プリマ・ディヴィジョン、俗に言うセリエC1で14ゴールを取った。この活躍によっていくつかのクラブから関心を集めた彼は、2013-2014シーズンはパレルモへレンタル移籍をした。その前シーズンをセリエAで戦っていたパレルモでは最初はポジションを掴めずにいたが、9月24日に元ミランのMFディ・ジェンナーロに代わり途中出場すると、早速その試合でアシストを記録し、その後は半ばスタメンとなって24試合10ゴールの働きをした。今季2014-2015シーズンからセリエAに復帰するパレルモは、レンタル移籍だった彼を7月からチームへ完全移籍させ、彼と共に新しいシーズンを戦うことに決めた。
 これらの活躍が評価され、各世代のイタリア代表にも招集されている彼だが、現在のU21では4-2-3-1の布陣の下で1トップでプレイしている。

 続いて、彼のプレイ・スタイルについて見て行きたい。今までのことも含めてこれまでは主にWikipediaを参考に見てきたが、まだ芽が出ていない若い選手には日本語版のページなど存在せず、英語版でも上記のような少しの経歴しか載っていない。しかし、イタリア語版のベロッティのページには、その期待がよく分かるほどに紹介されているのだ。
彼はセカンドトップを始めとし、前線のあらゆるポジションでプレイができるFWだ。ベロッティがユース世代でプレイしたアルビノレッフェのテクニカル・コーチ、エミリアーノ・モンドニコは彼について次のように語っている。「最高の選手だ。一目見て、彼の才能に気付いた。パワーもあれば、プレイの質も高い。古典的なストライカーがそうであるように、彼はゴール前でこそ上手く、賢く動くことができる。そう考えると彼はストライカーとしての性格が強いのかもしれないが、彼はウィンガーでもセカンドトップでもプレイができる。その理由は、先に挙げたようなゴール前での巧さに加えて、常にゴールを狙う姿勢にあるのだろう。」それから、U20イタリア代表の監督アルベリゴ・エヴァーニは「彼には二つの仕事ができる。つまり、攻撃での仕事に加えて、チームの最初のDFとして大きな貢献をしてくれるんだ。」と彼を評価した。
以上のWikipediaの紹介を見ると、彼にはFWとしての能力が高いのに加えて、 守備面での貢献度が高いのがよく分かる。アルビノレッフェのモンドニコは「古典的なストライカー」と評したが、この守備面での貢献度を考えるとそうとは言えないかもしれない。



 そしてコリエレ・デッロ・スポルトにちょうど今日、パレルモへの正式な入団に際しての彼のインタビューが掲載された。
私が望んでいたのは自分が重要な役割を担える強いチームであり、パレルモはそれにピッタリだ。今の私には試合に出ることが大事だ。
幼少期のこと
子供の頃からずっとボールを追いかけて育ってきた。学校から帰ればすぐにリュックサックを背負って、サッカーをしに出かけた。ご飯を食べに家に帰ったら、またサッカーをしに行った。試合も沢山見てきた。勉強もちゃんとしたよ。サッカーはいつまでもできるものじゃないと父に言われてきたからね。父は正しかったと思う。サッカー選手を夢見る少年に言いたいこと?自分を信じて、努力をし続けることだね。
僕はアルビノレッフェでキャリアをスタートさせた。アタランタの入団テストには落ちてしまってね。だからこそ父は僕に「お前は今、幸運な立場にいるんだ。お前のようにチャンスに巡りあうことができずに夢を諦めた多くの人がいることを忘れるな。」と言ってくれる。僕はそれを心に留めておくようにしている。ここに来るまでに沢山のつらい思いをした。父がいなければ、僕は今ここにいないだろう。友達が遊んでいる間、僕はキツい練習ををしていたし、泣いたこともあった。それでも家に帰ると父が僕を励ましてくれた。家で食べるシーフードラザニアが美味しかったな。それを一緒に食べていた兄は、今はシェフをやっているよ。もちろん彼もサッカーは大好きだ。
パレルモでの暮らしについて
今はパレルモに住んでいる。故郷のベルガモに比べると、パレルモが危ない街であることは確かだ。でも、ここに住んでいる人たちは素晴らしいよ。僕は今、楽しいんだ。ファンの人たちも面白いね。階段を降りたところで、ファンの人たちが僕の活躍を褒めてくれたりする。それに、実は僕はここで一度もコーヒーにお金を払ったことはないんだ。ベルガモではそうはいかない。両親に「ここにはマフィアがいるんだよ」と冗談で言ったら彼らはすごく心配してしまった。でも、一度来たらそんな心配はいらないことに気付いたと思う。南イタリアは本当に良い所だよ。
20歳でどう一人暮らしをしているか?僕にとっては初めての一人暮らしだけど、洗濯も料理も自分でしているよ。料理については兄にアドバイスをもらっているから、だいぶ上手くなったね。最初の頃は困ることもたくさんあって、両親が助けに来てくれたこともあった。休みの日はテレビゲームをしたり、映画を観たりしている。僕はシャイな人間だから、ずっと家にいるほうが性に合っているんだ。好きな映画や本?映画はアクションとコメディーが好きだね。本は最近はあまり読まないんだ。でもサッカー選手の伝記は好き。特にお気に入りなのがイブラヒモヴィッチとサネッティの本だ。
サッカー選手として
インモービレ、ヴェッラッティ、インシーニェを目標にしたい。彼らは皆、セリエBからトップレベルの選手へと成長した。僕も彼らの後を追わないといけない。僕のアイドル?それはシェフチェンコだ。彼は偉大なストライカーであると同時に、人間としても尊敬できる。
昨年の怪我について?あれは辛かった。でもチームの人たちが支えてくれたよ。イアキーニ監督が僕に電話で、僕をずっと待つと言ってくれたときは嬉しかった。そのお陰でリスクを冒すことなく全快に向けて治療することができた。
僕のプレイがカシラギに似ている?シュートが好きということでは似ているかもしれないけど、それは誰しもが持っている特徴だ。僕は自分が彼に似ているとも思わないし、他の誰かの真似をしようとも思っていない。そうすることが僕にとって良いことだと思っているから。だからこそ、僕は色んなポジションでプレイがしたい。もちろん、子供の頃から攻撃的なポジションが大好きだったけど。
感謝をしたい人と新しいシーズンに向けて
アルビノレッフェでの経験は素晴らしいものだった。今でもベルガモの友達と話したりするためにFacebookを使うし、Twitterでも彼らのことをフォローしているよ。なによりもモンドニコ監督には感謝しないといけない。彼は僕のことをずっと信じてくれた。
僕を評価してくれたパレルモにも感謝したい。お金もかかるし、僕のような選手を獲得するのは大変な仕事だったと思う。でもこのような重要なチームで僕は上手くプレイすることができた。これから僕はセリエAに挑戦する。楽しみで仕方がない。
今はものすごく熱意に溢れている。早く試合をして、セリエAでも良いプレイができることを示したい。パレルモは最高のチームだ。ここには選手だけじゃなくて、「人間」がいる。試合に勝つために重要なのは選手が良い働きをすることだけではない。ベンチからのサポートも欠かせないんだ。だからこそ、このチームは最高だ。

 サッカー選手特有の野心家としての面と、家族とベルガモの風土が生んだであろう謙虚な一面が、彼の言葉から垣間見える。彼はイタリアの超新星となりうるのだろうか。2016年のリオ五輪に向けて調整が始まる中、2014-2015シーズンはこの20歳のFWの活躍に期待してみたい。

2014年7月4日金曜日

イトゥルベの移籍金ってどれくらい凄いの?セリエAの移籍金高額ランキングと 比べてみた

 エラス・ヴェローナ所属の21歳のFWフアン・マヌエル・イトゥルベは、母国アルゼンチンやパラグアイでの経験を持ってFCポルトへ加入、2013-2014シーズンのエラス・ヴェローナでの8ゴール5アシストのパフォーマンスが認められ、今夏の移籍市場の大目玉となった。

 彼に最初に目を付けたユヴェントスは、まず2300万ユーロのオファーを出した。
 ユーヴェのこのオファーに対抗して、フィリッポ・インザーギ新監督の強い意向もあって彼の獲得を画策するミランが2500万ユーロを提示すると、ユーヴェも負けじと2500万ユーロないしは2100万ユーロ+クァッリァレッラorジョヴィンコと金額を上積みし、さらにはイトゥルベ本人との個人間合意を取り付けた。
 カカーの放出を決めて来季の高額な年俸支払いを回避したミランは、個人間合意のハンディキャップっを埋めるためにその分を移籍金に積み、2800万ユーロに提示額を上げた。ユヴェントスもヴチニッチやペルーゾの放出により得た収入を付け足して、オファー金額を2650万ユーロにした。早ければ6月に終わると思われていたイトゥルベ獲得の交渉は思いのほか長引き、それに比例して移籍金の額も少しずつ上がった。7月最初の時点の一部の報道では3000万ユーロを越えたとされていた。
    その後、ユーヴェとの競争に勝てないと判断したACミランがこの競争から撤退し、ユーヴェの独走状態に入ると再び移籍金は下落、2600万+200万ユーロのボーナスで落ち着くことになった。アトレティコ・マドリードの横槍もあったが、彼らの提示金額は2400万ユーロであり、イタリアでのプレイを望むイトゥルベ本人の意向を踏まえれば、ここでユーヴェの2600〜2800万ユーロのオファーを飲むのが、全ての人が幸せになる構図であったため、残すは契約書と公式発表だけという所まで来ていた。
    しかし、突如、ユーヴェはコンテ監督が辞任を表明、空白の新監督の構想が分からない中でイトゥルベを含めた全ての交渉中の選手の移籍が白紙に戻った。その後、ユーヴェはアッレグリ新監督を迎え入れるも時すでに遅し。陰からユーヴェとミランの争いを見ていたローマが3100万ユーロのオファーを提示して、一躍獲得レースのトップに躍り出た。
    そして今日、イトゥルベのローマへの移籍が公式に発表された。ローマがヴェローナに支払ったのは2200万ユーロだが、ボーナスやその他の支出を含めるとその金額は2850万ユーロ。ローマの"人事統括部長"サバティーニの底知れない手腕が発揮された。

 この移籍金がどれほどの額なのか。
 ここで、イタリアのチームからイタリアのチームへ移籍した過去の事例を見てみたい。

イタリア国内移籍金高額ランキング
選手名fromto移籍金
1エルナン・クレスポパルマラツィオ2000年5500万
2ジャンルイージ・ブッフォンパルマユヴェントス2001年5420万
3クリスチアン・ヴィエリラツィオインテル1999年4500万
4マヌエル・ルイ・コスタフィオレンティーナACミラン2001年4200万
5リリアン・テュラムパルマユヴェントス2001年4150万
6パヴェル・ネドヴェドラツィオユヴェントス2001年4120万
7フィリッポ・インザーギユヴェントスACミラン2001年3700万
8エルナン・クレスポラツィオインテル2002年3600万
9ガブリエル・バティストゥータフィオレンティーナASローマ2000年3250万
10中田英寿ASローマパルマ2001年3100万
11アレッサンドロ・ネスタラツィオACミラン2002年3050万
12セバスチャン・ヴェロンパルマラツィオ1999年3000万
13アントニオ・カッサーノバーリASローマ2001年2850万
14エメルソンASローマユヴェントス2004年2800万
15フランチェスコ・トルドフィオレンティーナインテル2001年2650万
16ヴィンチェンツォ・モンテッラサンプドリアASローマ1999年2500万
16フェリペ・メロフィオレンティーナユヴェントス2009年2500万
16アルベルト・ジラルディーノパルマACミラン2005年2500万
16マルシオ・アモローゾウディネーゼパルマ1999年2500万
20ズラタン・イブラヒモヴィッチユヴェントスインテル2006年2480万
(金額の単位はユーロ、Transfermarktを参照)

    イトゥルベはカッサーノと同立の13位に入る。イタリア・サッカーの直近10年の凋落の歴史を物語るように、この上には1999年から2002年の事例しか無い。
 イトゥルベの来シーズンのチームは、紆余曲折を経てローマとなったが、ユヴェントスとミラン、そして獲得を決めたローマは10年来、もしくは15年来の大判振る舞いを、この若く才能のある選手の獲得のためにしたのだ。
(それにしても中田英寿すげえ・・・)

2014年6月27日金曜日

イタリア代表の崩壊、ロッカールームで何があった?

 バロテッリは更生したと思われていた。以前のようにトラブルを引き起こすことはEURO2012決勝戦における後悔からなくなり、チームメイトから愛されるバロテッリになっていた。しかし、ウルグアイ戦のハーフタイム、チームは崩壊した。
 前半に危険なタックルによってイエローカードをもらったバロテッリにプランデッリ監督はハーフタイム、「態度を改めろ。そうしないなら10分で交代させる。」と告げた。しかし、バロテッリは「俺を信じろ、束縛をするな」と反論、プランデッリは「黙れ」と一喝して後半の最初から彼に代えてパローロを投入することに決めた。
 それでも悪態をつき続けるバロテッリに対し、遂に堪忍袋の緒が切れた選手がいた。この日初めて先発出場を果たしたDFレオナルド・ボヌッチだ。ボヌッチは「馬鹿野郎!黙ってここから出て行け!」と
、バロテッリを文字通りロッカールームからつまみ出した。彼に続き、デ・ロッシがさらに友好的でない口調でバロテッリを叱責したという。
 このハーフタイムにはもうひとつの物語がある。ロッカールームの出来事を私たちは話を聞くまで、少したりとも想像しなかっただろう。ウルグアイ戦の後半のアッズーリは、いつものアッズーリそのものだったからだ。グチャグチャになったロッカールームをキャプテンのブッフォンが収集していた。選手たちが最悪のムードでピッチに戻ろうとした直前、ブッフォンは「このままではダメだ。目を覚ますぞ。」とチームを鼓舞した。

 0-1でウルグアイに敗れ、イタリア代表のワールド・カップが終わった。この大会を最後に代表引退を表明していたピルロが、試合後のロッカールームで挨拶をすることになった。しかし、ここで、定例のドーピング検査の対象がピルロになり、彼は2時間ほどロッカールームに戻ることができなかった。選手たちは、それぞれの思いを胸に秘めながら、12年間、112試合に渡りアッズーリを引っ張ってきた男の帰りを待っていた。しかし、バロテッリはロッカールームを出て、バスの中で一人、音楽を聴き始めた。

 そのとき、ついにキャプテンのブッフォンまでもが愛想を尽かせた。
前に出て戦うのはいつもベテランだ。もっと彼らをリスペクトしなくてはならない。ピッチで必要なのは、「やる」ことであり、「やれるかも」や「やるはず」では不十分だ。誰がいて、誰がいなかったかは見ての通りだろう

 また、試合後のプランデッリのコメントもある。
バロテッリはいつ熱くなり、いつ冷静になるのか分らない。彼はすでにイエローカードをもらっており、10人で戦うことは避けたかったので交代した。しかしそうした采配によってチームは負けた。私は責任をとって辞職する。

 その後、イタリアメディアがこれを受けて反バロテッリ色が強くなり、世論もそちらへ傾くと、バロテッリからもコメントが出された。
今回は自分だけの責任にはさせない。マリオ・バロテッリは代表のためにすべてを捧げたからだ。気持ちの面では何も間違えなかった。だから他の言い訳を探した方がいい。私は自分が国のために全力を尽くしたことを誇りに思っている。


 こうして、イタリア代表はブラジルを離れた。イタリアの記者たちは、空港で彼らを待ち受けた。コメントをしたのはブッフォンとピルロ、アルベルティーニだ。当の本人、バロテッリはヘッドホンをつけたまま黒いバンへ移動していった。
ブッフォン「バロテッリについて?サッカーの話しかしない。僕たちは醜態を晒してしまった。」
ピルロ「バロテッリが今後アッズーリに呼ばれるか?それは僕にはわからないよ。」
アルベルティーニ/イタリア・サッカー協会副会長「新しいイタリア代表にバロテッリがいるかどうかは分からない。彼が価値のある選手であれば呼ばれるし、そうでなければ別の選手が呼ばれるだけだ。しかし、今回の敗退の責任がバロテッリだけにあるというのは間違っている。」

 イタリア代表一行がリオ・デ・ジャネイロからマルペンサ国際空港に着くまでの間に、和解に向けた一つの動きがあったことを、同乗していたジャーナリストがスクープしている。バロテッリは飛行機の中で、初めは他の選手たちと同じ席に座ることをせず、一人離れてフィアンセと共にいた。だが、その後プランデッリの方へ出向き、謝罪をしたという。プランデッリが「反省をしたか?」と尋ねると、バロテッリは「はい。私が間違っていました。」と返答した。
 ただし、監督とは和解したものの、チームメイトとの亀裂はまだ解消されていない。帰りの飛行機の中でバロテッリが選手たちと話すことは一度もなく、マルペンサ国際空港で他の選手たちが皆、飛行機からバスに乗り換えた一方で、バロテッリはフィアンセと共に別に用意されていたミニバンへ乗り込んだ。


 現在、イタリアの世論は大方、反バロテッリに傾いている。アーセナルへの移籍が噂されているが、バロテッリがイタリアに失望してしまえば、ミラノを離れてロンドンへ行くこともあるかもしれない。尤も、アーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督は今回の一連の報道がされていく中でバロテッリへの関心を完全否定した。
 バロテッリの未来はどうなっていくのか。まずはガッリアーニACミランCEOを始めとする自分の味方に対して素直にならなくてはならない。また、アッズーリのチームメイトに対する謝罪も必要だろう。
 特にブッフォンとボヌッチだ。実はイタリア代表は、もう一人の悪童が問題を起こしていた。カッサーノは宿舎の食堂で、唐突に怒鳴り、自身の目の前にあったグラスを割ったという。騒然となったその場所を収めたのがブッフォンであった。ブッフォンがどれほどチームの平穏を保とうと必死になっていたかをチームメイトであれば知っていたはずだ。
 また、ボヌッチはいつもバロテッリの味方だった。EURO2012のアイルランド戦、ゴールを決めたバロテッリはゴールパフォーマンスの途中、挑発的な態度で何かを叫ぼうとした。何を言おうとしたのかは不明だが、場合によってはレッドカードをもらうかもしれないこの行為を止めたのがボヌッチだった。彼はバロテッリの口を塞ぎ、冷静に、しかし真剣に彼を諭した。それから2年、ついにボヌッチまでもがバロテッリをロッカールームから追い出そうとしたのだ。

 イタリア代表の新監督は、マンチーニになるだろうとの予想が最も強い。マンチーニと言えば、マンチェスター・シティを指揮していた時代、バロテッリの面倒をよく見た監督だ。マンチーニなくして、今のバロテッリは無かったはずである。彼なら、おそらく新しいチームでもバロテッリを使いたいと考えるだろう。それを実現させるためには、まずはチームメイトとのわだかまりを解消することが急務である。

2014年6月26日木曜日

ピルロのアッズーリ最後の試合と彼の遺した財産

 ワールド・カップ第三戦、イタリアはウルグアイに0-1で敗れ、二大会連続のグループリーグ敗退という結果に終わった。この大会を最後に代表引退を表明していたピルロの、最後の試合となった。

 この試合の細かい部分を語る前に、マルキージオのレッドカードとスアレスの噛み付き行為には触れておかなくてはならないだろう。
 後半15分頃、マルキージオが相手選手に足の裏でタックルをしたことでレッドカードを受けて退場処分となった。ブッフォンやキエッリーニを始め、イタリア代表の選手たちはすぐに審判のもとに駆け寄り抗議をしたが、この判定は覆らなかった。
 確かにマルキージオは、別に相手を傷つけるためにあのプレイをしたわけではない。ルーズボールを自分のものにしようとする中での偶発的な事故であったのは明白だ。しかし、前半に一度、相手の顔の付近まで足を高く上げたマルキージオは、その時点で審判から目を付けられていた。その後に、審判のすぐ近くで起きたあのプレイは、マルキージオという選手は相手に乱暴な行為をするのではないかという審判の疑いを確信に変えるのに充分過ぎた。マルキージオのことを普段から知っている人であれば、彼がそんな選手ではないことは百も承知だが、それも一種の偏見であり、中立公正を貫かなくてはならない審判はそれらを捨てる必要がある。マルキージオのレッドカードに関して、一概に審判を責めることはできないのだ。
 スアレスのプレイについても、審判の裁量を越えているところがある。それは、ボールとは全く関係ないところで行われた。審判は試合の流れの中で当然ボールの周りを注視しているのだから、スアレスとキエッリーニの争いを感知することは難しい。キエッリーニの首元にある歯型は、スアレスの噛み付き行為の証拠となりうるが、目視していないプレイの正当不当を審判することがまかり通れば、例えば試合前に首元に歯型を付けておいた上で、佳境に入ったときに相手のイヤな選手を退場に追いやる行為もできてしまう。スアレスのこの卑劣で最も愚かな行動は、FIFAの調査結果をもとにして後日裁かれ、それに応じた処分が下されるはずだ。サッカーというスポーツの公平性を保つためには、これ以上のことは現状できないのである。

 それでは、試合の方を見てみよう。
 4-1-4-1という今大会の基本布陣が二試合目にしてコスタリカに敗れたことを受けてか、プランデッリはチームの主軸を担うメンバーの多くが所属するユヴェントスを模したフォーメーションで、この大一番に挑むことにした。ブッフォン、バルツァーリ、ボヌッチ、キエッリーニ、ピルロ、マルキージオと、イタリア代表に招集されたユヴェントスの選手たちは全員が普段と同じポジションでプレイし、それ以外のポジションを他の選手たちで補った。
 しかし、イタリア人屈指の戦術家プランデッリが、コンテの編み出したこの戦い方をそのまま複写することはなかった。形の上ではユヴェントスだが、その内実はプランデッリ主義が行き通っており、柔軟な中盤構成と4-4のブロックはこの布陣の中でも根強く残り、徹底されていた。その違いを象徴し、またこの試合で最も輝いた選手がマルコ・ヴェッラッティだ。
 ヴェッラッティは、ユヴェントスではアルトゥーロ・ヴィダルが担当する右寄りのCMFでプレイした。豊富な運動量を持ってピッチのあらゆるところへと顔を出し、攻守において最大限の貢献をする重要なポジションだ。しかし、「ピルロの後継者」に最も相応しいと評されるヴェッラッティがこの仕事をできないことは、彼のプレイを少しでも見たことのある人であれば、誰しもが知るところ。プランデッリは当然、彼をヴィダルの劣化版コピーにはさせなかった。
 インコントリスタ(相手の攻撃を潰す選手)ではなく、レジスタ(攻撃を組み立てる司令塔)として出場したヴェッラッティはあらゆる位置からボールを持ち運び、パスを送り、数字の上ではピルロ以上の働きをした。95%のパス成功率と5回のドリブル突破はチームトップである。
 彼がピルロと共に試合に出るのはワールド・カップの強化試合ルクセンブルク戦、ワールド・カップ初戦のイングランド戦、そして今回で三回目だ。ルクセンブルク戦では1試合に20本もピルロのパスを出し、完全に隣にいる偉大なレジスタに頼りっきりであったが、今試合ではピルロを自身の展開の選択肢の一つとして数え、自分から積極的に攻撃を組み立てるようになった。その証が、先ほどの数字だ。ピルロの隣でプレイをすることによって、彼はピルロの技術の多くを吸収し、子が親から自立するのと同じく、自分自身の判断で大きな責任と揺るぎない自信の込めたパスを前線に送った。統計に基づく採点によれば、ヴェッラッティはこの試合におけるチーム内MoMになった。

 ヴェッラッティの他にも、マッローネ、ファウスト・ロッシ、カタルディ、ベナッシ、クリスタンテと、将来を有望視されるMFはまだまだたくさんいる。イタリアが世界王者に導いた頃に10代前半から半ばだった彼らは、自身のプレイ・スタイルやサッカー選手としての基盤が固まり、大きく成長するその年に、ピルロの活躍を見ていた。インテル・ミラノでかつて大きな挫折を味わった彼がスーパースターへの階段を登っていくのをテレビの向こう側で見守り、影響を受けた。そうして、多くの技術の高い選手がMFとしてサッカーのいろはをピルロに憧れながら覚えていった。
 ピルロの遺した財産はあまりにも偉大である。ワールド・カップの優勝や欧州選手権の準優勝といったトロフィーだけでなく、イタリア・サッカーの指針を彼が決めていった。今後のイタリア代表がどういった戦い方をするのかは、彼ら「ピルロの子供たち」を見れば、ぼんやりとわかってくる。
 そして、ピルロはまだ、現役を引退するわけではない。ユヴェントスとの契約はあと2年ある。ユヴェントスに勝利をもたらし続け、マルキージオやボヌッチ、その他多くの若いイタリア人に本当の「勝者のメンタリティ」を植え付ける仕事が残っている。イタリア代表が復活するためには、やはりピルロの力が必要なのである。

2014年6月24日火曜日

2022年ワールド・カップの開催地がカタールでなくなるとヨーロッパの移籍市 場 は大荒れに

 ブラジルでワールド・カップが盛り上がる最中、2022年のワールド・カップの開催国が変更される可能性が出てきている。開催国カタールでは、その過酷な暑さ・生活環境などが原因でスタジアム建設やインフラ整備で死者が続出しており、6月3日発売の『Newsweek日本版』の記事を参考にすると、すでに1200人が死亡、2022年までにその数は4000人に上るという。
 今大会の後に提出される調査報告書を持って、カタール大会開催の是非が決まる。代わりの開催国の候補はアメリカ・カナダ(同時開催)と、2019年ラグビーW杯と2020年東京五輪で開催環境が保証されている日本だ。

 カタールでワールド・カップが行われなかった場合、ヨーロッパのサッカーに、特にセリエAとリーグ・アンには大きな影響を来たすであろう出来事が起きるかもしれない。新興ビッグクラブ、パリ・サン・ジェルマン(PSG)の破産だ。なぜか。2013年にアメリカ経済誌『Forbes』に掲載された記事を見て頂きたい。
2013年7月21日Forbes記事
(以下和訳一部引用)
パリ・サン・ジェルマンは湯水の如く金を流し、選手を手に入れてきた。ちょうど今週、1億5000万ドルを使い、エディソン・カヴァーニ、ルーカス・ディーニェ、マルキーニョスの3人の選手を獲得したところだ。
これにより、2011年からの二年間でのPSGが選手の獲得に使った金額が5億ドルに及ぶことになった。2011年とは、カタール観光庁(Qatar Tourism Authority)が1億3500万ドルでこのクラブを購入した年である。 
QTAによるこの事業は、1億4200万ドルの投資を皮切りに始まった。最初のシーズンでリールがリーグ・アンを制覇すると、優勝をするためにはまだ充分ではないと知った彼らは翌年、さらに2億ドルをクラブの補強に使った。そして遂にその野望を果たし、チャンピオンズ・リーグにおいてもベスト8の好成績を修めた。
1970年に設立されたPSGは、今までほぼ全ての年を赤字で終えている。QTAが経営に乗り出す前年の2010年は、-3700万ドルの赤字を記録した。となると、上記のような近年のQTA主導の経営によって、その赤字はより一層拡大しているのではないだろうか。
しかし、多くの人が驚くであろうが、QTAが登場してから2012年6月までのおよそ1年間で、その赤字分はたったの-700万ドルになった。
その秘密のひとつは次のとおりである。その年に契約した選手の移籍金は、契約年数に応じて分割払いとされており、つまり1億5000万ドルになるはずの支出は、4年契約を主とする交渉締結によって、一年当たりに換算すればその4分の1の3750万ドルに抑えられていた。しかし、そうは言えど、前年の-3700万ドルから3000万ドルも赤字を減らしたことは、これでは説明ができない。 
給与支払い額は9100万ドルから1億5300万ドルと、その一年の間に6200万ドルも上がっており、全体の支出においても1億2700万ドル以上増加した。要するに、前年の赤字(-3700万ドル)を実際の成果(-700万ドル)にまで減らすには、一年で1億6000万ドル以上の歳入がないと計算が合わないのだが、この歳入はあまりにも大きい。
かつてここまでの爆発的な歳入の増加に成功したクラブなど存在しない。 
では、2011年から2012年にかけて、具体的にどのような歳入があったのだろうか。
・広告収入―前年比1800万ドル低下
・放映権―同270万ドル増加
・入場料―同900万ドル増加
クラブの基本収入となるこの三大要素においては、1億6000万ドルの増収どころではなく、むしろ630万ドル、歳入を減らしている。  
PSGの歳入に大きな影響をもたらしたのは、一般的なサッカー・クラブとしての活動を通してのものではないということだ。
2012年のPSGの経営報告を見てみると、「その他の歳入」が1億6000万ドル(歳入全体の50%)に及んでおり、これはつまり、オーナーの資金から賄われた分だ。
QTAからPSGへと流れたこの奇妙なお金、「その他の歳入」は2012年後半には、4年で9億ドル相当に及ぶ金額になると報告された。
サッカーの歴史上、これは最も大きな金額であり、さらに奇妙なことに、これほどまでに巨額を投じたQTAには見返りがほとんどない。彼らはネーミング・ライツも持たなければ、ユニフォームに名前も出さない。PSGが巨額の融資の見返りに彼らにしてあげられることと言えば、カタールへの旅行者増加を促進することのみであった。

 以上の記事から分かる通り、PSGはその経営の大部分をカタール観光庁に頼っている。PSGへの投資によるカタール観光庁の見返りは、2022年ワールド・カップを見越した「サッカー好き観光客の増加」であり、その投資金の元手はカタール政府の国家予算だ。
 2022年ワールド・カップがカタールで開かれなくなれば、カタール観光庁がPSGに融資する理由がなくなる。場合によっては突然、融資を打ち切ることになるかもしれない。PSGの現在の支出額はカタール観光庁の融資なしには賄うことができない。

 UEFAはこうしたリスクを避けるために、借金をせずに経営を行う「ファイナルシャル・フェア・プレイ」をクラブに求めてきた。そして再三の警告を無視し、経営改善に努めなかったPSGにはマンチェスター・シティと共に最高レベルの経済制裁が課せられており、その内容は6000万ユーロの罰金とチャンピオンズ・リーグの登録選手数制限である。
 経営破綻をしたクラブに対しては通例、下部リーグへの降格が言い渡され、また負債を少しでも返済するためにほぼ全ての選手の放出を余儀なくされる。PSGの選手はその多くがかつてセリエAで活躍していた選手だ。彼らが一斉に破格の安さで移籍するような事態になれば、ヨーロッパ、特にセリエAの移籍マーケットは大荒れするだろう。

 確かに、これほど大きな事件が起きるとはさすがに考えづらいが、PSGにはやはり経営を見直す姿勢が要求される。

2014年6月22日日曜日

イタリア代表の23人とプロフィール

GK
1.ジャンルイージ・ブッフォン(ユヴェントス)「スーパーマン」
言わずと知れた、イタリア代表の守護神。ワールド・カップは1998年大会から、5回目の出場となる。2010年、カンナヴァーロが代表を引退して以降はキャプテンを務める。イタリア代表の出場試合数最多記録保持者。ユヴェントスでは、2012-2013シーズンからデル・ピエロに代わりキャプテンに就任。1998年のワールド・カップ以来、EURO2000を除きすべての大会に召集され、今大会で10大会目となるが、これは元ドイツ代表のローター・マテウスに並ぶ世界記録である。

12.サルヴァトーレ・シリグ(パリ・サン・ジェルマン/フランス)
2009-2010シーズン、21歳頃からパレルモでレギュラーに定着し、2011年にパリ・サン・ジェルマンに移籍。代表初召集は2010年2月、2010年ワールド・カップ後はコンスタントに代表に召集されている。長らく代表ではサードGKの立場だったが、ヴィヴィアーノやマルケッティを押しのけ、ここ数年はセカンドGKに昇格した。

13.マッティア・ペリン(ジェノア)
まだ21歳と若い選手だが、セリエAは今年で2シーズン目の挑戦となる。セービング能力に定評があり、ブッフォンの後継者に最も近い選手の一人だろう。

DF
3.ジョルジョ・キエッリーニ (ユヴェントス)「キングコング」
フィオレンティーナ時代は中田英寿と共にプレイしており、中田はキエッリーニの最も尊敬する選手の一人である。もともとは左サイドバックとしてプレイしていたが、2008年頃にセンターバックにコンバートされた。イタリア代表ではセンターバックと左サイドバックを兼任している。タックルのスキルは世界一と言えるが、熱くなりやすくカードをよくもらってしまう。ドリブルが上手く、積極的なオーバーラップも彼の魅力のひとつである。

15.アンドレア・バルツァーリ(ユヴェントス)「壁(The Wall)」
ワールド・カップは2006年大会以来、二回目の出場となる。2010年は召集されなかった。かつては「期待の若手」であった。その後低迷期に入るも、ドイツ・ヴォルフスブルクへの移籍により才能をふたたび開花させ、2010年1月にユヴェントスに移籍。当初は控えのCBとされていたものの、レギュラーを奪取した。カンナヴァーロを彷彿とさせる高い対人スキルと鋭い観察眼は世界最高と言える。ニックネームは「壁」

19.レオナルド・ボヌッチ(ユヴェントス)
ワールド・カップは2010年に続き二回目の出場となる。インテルのユース出身の選手だが、バーリで注目を浴びたことをきっかけに、1550万ユーロで2010年にユヴェントスに移籍した。ユヴェントスではすでに4年間不動のレギュラーを務めているが、年齢はまだ27歳と若い。ロングパスの正確さはイタリア随一であり、ユヴェントスの3バックはボヌッチ抜きには成り立たない。あらゆることを高いレベルでこなすことができる理想的かつ現代的なセンターバックだ。

20.ガブリエル・パレッタ(パルマ)
アルゼンチン出身のイタリア人、リヴァプールやボカ・ジュニオルズでのプレイ経験もある。今年28歳となる選手だが、イタリア代表は2014年3月に初招集となった遅咲きの選手。今夏、ユヴェントスへの移籍が噂されている。対人の守備能力が高く、ロングフィードもこなす大型DFだ。今シーズンのパルマでの活躍が召集に繋がった。

2.マッティア・デ・シーリオ(ACミラン)
この21歳の若手DFは、所属クラブとポジションを同じくするパオロ・マルディーニとよく比較される。クラブでは攻守に渡り安定したパフォーマンスを披露する。また右利きではあるが、左右両方でプレイすることができる。代表初招集は2013年3月で、昨年行われたコンフェデレーションズカップにも出場した。今シーズンは怪我に悩まされた。

7.イグニャツィオ・アバーテ(ACミラン)
U-21イタリア代表ではウィングFWとしてプレイ、ACミランでもかつてはMFでの出場が多かった。2009-2010シーズン頃からサイドバックにコンバートされ、次第にイタリア代表の常連に。スピードを売りにした攻撃的な能力を評価されている。EURO2012やコンフェデレーションズカップでもイタリア代表に召集されている。

4.マッテオ・ダルミアン(トリノ)
ACミラン出身、24歳の若いサイドバックで、2011年からトリノでプレイしている。イタリア代表での出場経験は無く、彼の召集は今回の最大のサプライズと言える。戦術理解度が高く、ミスも少ない。サイドバックとしては、デ・シーリオ同様に、左右両方でプレイでき、またセンターバックとしても起用も可能。今回のメンバーの中では最も使い勝手の良いDFだろう。今季はセリエAでウイングバック及びサイドバックとして28試合、サイドMFとして3試合、センターバックとして5試合、合計36試合に出場し、3アシストの活躍をした。


MF
21.アンドレア・ピルロ(ユヴェントス)「指揮者(Regista)」「脳みそ(The Brain)」
「レジスタ」の代名詞とされるほどの彼の比類なきボール・コントロールは説明するまでもないだろう。ワールド・カップは2006年、2010年に続き三回目となる。2010年大会は怪我で離脱し、決勝トーナメントから出場する予定だったが、イタリアが窮地に立たされると急遽グループステージ第三戦で途中出場した。ACミラン時代の弱点だった怪我の多さも、ユヴェントス移籍後はほぼ解消された。ユヴェントスのセリエA三連覇を最も支えた選手である。「中盤の底」でのプレイを得意とする選手だが、イタリア代表では左寄りのCMF(インサイドハーフ)での起用が目立つ。

16.ダニエレ・デ・ロッシ(ローマ)「剣闘士」「未来のキャプテン(Capitan Futuro)」
ユース時代からローマ一筋のロマニスタ。その風貌から「グラディエイター(剣闘士)」と称される。MFとして必要な全てのスキルが世界トップクラスであり、彼を世界最高のMFと評価する人も多い。EURO2012ではセンターバックとしてもプレイしたが、彼の攻撃力を活かしたかったプランデッリは、3バックの布陣がよく機能していたにも関わらず、その後デ・ロッシをMFに置く4バックの布陣に戻した。ワールド・カップは2006年、2010年に続き三回目。2006年大会ではグループステージのアメリカ戦で肘打ちをしたことでレッドカードをもらい、4試合の出場停止処分となる。今シーズンも、試合中の悪質なプレイが原因で代表招集が見送られることがあった。良くも悪くも、熱くなりやすい選手だ。

8.クラウディオ・マルキージオ(ユヴェントス)「王子様(Il Principino)」
ユヴェントス・ファンの父親の下に生まれ、7歳からユヴェントスに所属する生粋のユヴェンティーノ。難しいプレイも簡単にこなしてしまうボール・テクニックは、ピルロにも劣らない。MFの全てのポジションを経験した高い万能性を持ち、今季はフランス代表のポグバの台頭により一時は2008年以来はじめてレギュラーの座を奪われたが、その後中盤の底としての才能をも開花させた。2009年の初招集から、怪我を除けば、一度も漏れることなく常にイタリア代表に呼ばれている。

5.チアゴ・モッタ(パリ・サン・ジェルマン/フランス)
彼が最初に注目されたのはバルセロナでキャリアをスタートさせた20歳頃のときである。チャビ・エルナンデスやダービッツ、デコといった選手たちの後ろ、中盤の底でプレイした。その後アトレティコ・マドリッドを経てインテルに移籍し、チャンピオンズ・リーグ優勝に貢献した。その高い安定感や陰の貢献度から、ファンよりも監督からの信頼が厚い。かつてはU-23のブラジル代表でプレイしていたものの、フル代表はイタリアを選択した。2011年の初招集から代表に定着し、EURO2012にも出場。一時は代表のメンバーから外れるものの、今季から復帰した。バルセロナ以来、クラブ・チームでは中盤の底で守備的な役割をしているが、イタリア代表ではトップ下でプレイすることが多い。

14.アルベルト・アクィラーニ(フィオレンティーナ)「スワロフスキー」
ユース時代を過ごしたローマで才能を開花させた後、リヴァプールでは不遇のシーズンを過ごすが、ユヴェントスに加入後は再び高く評価される。ACミランを経てフィオレンティーナに移籍、入れ替わる形でミランへ移籍したモントリーヴォの穴を埋めた。プレイは素晴らしいのに怪我をしやすいという意味で「スワロフスキー」というあだ名が付けられているものの、今シーズンは一年を通して高いパフォーマンスを披露し続けた。

23.マルコ・ヴェッラッティ(パリ・サン・ジェルマン/フランス)
2011-2012シーズンのセリエBにおいて、ペスカーラのセリエA昇格に貢献した。彼もまた、アクィラーニや今回は怪我で離脱したモントリーヴォらと同じように「ピルロの後継者」と呼ばれた選手の一人であり、ボールコントロールやパスの能力が高い。2012年夏、ユヴェントスへの移籍が目前となっていたが、交渉が難航している間に、パリ・サン・ジェルマンが乗り出し、1200万ユーロで彼を獲得した。一部リーグでのプレイ経験のない選手としては異例の値段だ。クラブでは、世界的に高い評価を受ける選手が多く所属する中、弱冠21歳にしてポジションを確保し、破格の移籍金に充分に見合う働きをしている。EURO2012の予備メンバーに選出されていたが、本戦に進むことはできず、イタリア代表デビューは2013年2月のオランダ戦まで待つことになった。それ以降は定期的に召集されている。

6.アントニオ・カンドレーヴァ(ラツィオ)「大砲」
リヴォルノで才能を開花させ2009年、22歳でイタリア代表デビューを果たした。2010年冬にはザッケローニ監督が指揮を務めるユヴェントスにレンタル移籍で加入した。しかし、その後2年間は不遇のシーズンを過ごし、イタリア代表からも遠ざかった。2012年、ラツィオへの移籍をきっかけに再ブレイク、かつての弱点であったスタミナの不足やミスの多さは克服され、万能型のMFへと成長した。様々なポジションでプレイすることができるが、本職はサイドMFである。

18.マルコ・パローロ(パルマ)
今回召集されたパレッタやカッサーノらと共に、今季のパルマの躍進を支えた選手の一人。チェゼーナに所属していた2011年にイタリア代表でデビューし、EURO2012への出場も期待されていたが、それは見送られた。その後しばらく代表からは遠ざかっていたものの、2014年3月に復帰し、今回メンバーに選ばれた。イタリア代表に召集されている他のMFと同様に、万能型の選手であり、中盤からのダイナミックなシュートを評価されている。今シーズンは35試合に出場し、8ゴールをマークしている。


FW
9.マリオ・バロテッリ(ACミラン)「スーパー・マリオ」
15歳でプロデビュー、17歳からセリエA・インテルでプレイしていた。その後マンチェスター・シティーを経て、現在の所属チームのACミランへ。怪物的な破壊力を持ち、ピッチのどこからでもシュートを決めることが出来る。キング・ペレをして「世界最高のストライカー」と評されるが、精神的な未熟さは隠しきれず、レッドカードを受けて退場することも多い。

17.チーロ・インモービレ(トリノ)
ユヴェントス・ユース出身の選手で、現在も保有権の半分はユヴェントスが所持している。2011-2012シーズンに出場機会を得るためにセリエBのペスカーラに移籍し、28ゴールで得点王に輝く。次のシーズンは不調が続いたが、今シーズンから調子を取り戻し、セリエAの得点王に。今夏のボルシア・ドルトムントへの移籍が注目される。守備も献身的に行うFWで、FWとして必要なあらゆる能力を高いレベルに持つ。

11.アレッシオ・チェルチ(トリノ)
ローマ出身のセコンダプンタで、今季はインモービレと共にトリノの強力な攻撃を支えた。スピーディーなドリブルが売りの選手、右サイドから中に入り込んでの左足のキックは、精度・威力ともに抜群だ。2013年3月にイタリア代表に初召集され、コンフェデレーションズカップのメンバーにも選ばれた。ミランへの移籍が噂される。

22.ロレンツォ・インシーニェ(ナポリ)
ナポリ・ユース出身の彼は、ナポリターレ(ナポリのファン)から最も愛される選手だ。クラブのレジェンド、ディエゴ・マラドーナも彼を非常に高く評価している。2011-2012シーズンはペスカーラで過ごし、ヴェッラッティ、インシーニェと共にセリエA昇格に大きく貢献した。昨年のU-21欧州選手権では10番を務める。ポジションはセカンドトップで、おそらく今回のメンバーの中で最もドリブルの上手い選手だろう。2013年10月のイタリア代表デビュー戦でもその実力の高さを発揮した。ナポリのベニテス監督も、イタリア代表へ強く推薦している。

10.アントニオ・カッサーノ(パルマ)「バーリの宝石」
ローマ、レアル・マドリッド、ミラン、インテルと数多くのクラブを渡り歩いた。「悪童」の代名詞とされるほどにかつては精神的な未熟さが目立ったが、2009年頃からはまじめにサッカーに取り組むようになる。2010年ワールド・カップへの召集も大きく期待されたが、当時の監督リッピとの確執があり、メンバーから外れた。スピードやボディー・バランス、スタミナなどは持ちあわせてはいないものの、卓越したボール・テクニックを持って敵を圧倒する。EURO2012以降は代表から遠ざかっていたものの、今季のパルマでの活躍が評価され、代表にふたたび召集された。


今回落選した主な選手
GK ミランテ(サポートメンバーとして帯同)、マルケッティ
DF アストーリ、クリッシート
MF ジャッケリーニ、フロレンツィ、ポーリ、モントリーヴォ(負傷離脱)
FW ジラルディーノ、オスヴァルド、ディアマンティ、エル・シャーラウィー、ベラルディ、ロッシ

2014年6月21日土曜日

イタリア代表、コスタリカ戦の敗因とは

 今大会屈指の「死のグループ」と言われていたグループDで大波乱が起きている。ウルグアイの1位通過は確実だろうか。2位をイタリアとイングランドで争うことになり、コスタリカには気の毒だった。そんな予想が多くの人の間でされていたが、しかし蓋を開けてみるとこのグループで一番強いのはコスタリカであった。

 ワールド・カップ第二戦となるコスタリカ戦では、イタリアは初戦と同じく4-1-4-1の布陣を採用した。メンバーには若干の修正を加え、パレッタに代わりアバーテが、ヴェッラッティに代わりモッタが先発に名を連ねた。

 基本的な戦術はイングランド戦から一貫しており、イタリアは中盤の選手たちに自由を与えた。ピルロは自分の好きなように動いた。また、中盤ではないが、左サイドバックに入ったダルミアンも積極的に攻撃参加を行い、FWのようなポジショニングを取っていることもあった。この自由さがイタリアの攻撃を多彩にし、キーマンのピルロにゆとりを与えるはずだった。しかし、これは最後の最後まで上手く行かなかった。
 こうした自由によって狂うはずの歯車を、マルキージオ一人に修正させていたのが良くなかったのかもしれない。または、自由さが足りなかったところも否めない。自由さの不足が、マルキージオに過酷な仕事を要求させてしまったのだろう。イングランド戦では、この日のピルロと同じくらいか、それ以上に自由な選手がもう一人いた。ヴェッラッティは、本来のポジションが右よりのセンターMFであるにも関わらず、左サイドのライン際にも顔を出すなど、縦横無尽にピッチをふらふらと動き回っていた。
 しかし、そんな自由さがイタリアの攻撃を流動的ながらも安定させていた。ヴェッラッティが左に行けば、デ・ロッシが右寄りにポジションを移し、マルキージオも中央に入る。マルキージオとデ・ロッシというセリエA屈指の万能型MFの二人が真ん中にいることでチームが安定するのは間違いなく、その二人の間にピルロがいれば、2009年以来の中盤の構成がそのまま作られるだけだった。


 ヴェッラッティに代わり出場したチアゴ・モッタの長所は安定性である。強烈な個性は無いが、チームを安定させていく力に長けている。インテルでは、彼がいることで勝率が格段にアップしていたというデータもある。しかし、その安定性が、自由なイタリア中盤の風土に合っていなかった。ピルロが左サイドを上下に好き勝手に動き回る一方で、チアゴ・モッタの動きは比較的に本来の場所に固定されており、中盤を機能不全の状態にさせてしまった。
 チアゴ・モッタの位置が変わらないことで、デ・ロッシの仕事が後方におけるものしかなくなってしまった。ヴェッラッティやピルロが後方に入り込むことによって、デ・ロッシが前線に入るというイングランド戦で機能した一つの動きが、コスタリカ戦ではチアゴ・モッタが邪魔になってできなくなった。カンドレーヴァの中央への侵入も、チアゴ・モッタが邪魔になってできなくなった。カンドレーヴァが中に入りづらいから、アバーテの攻撃参加も冴えない。イタリアの攻撃は自然と左偏重になり、ダルミアン、ピルロ、バロテッリらのカヴァーやサポートをするマルキージオへの負担が尋常じゃなく大きくなってしまった。
 チアゴ・モッタに悪いところはない。全てのパスに成功し、インターセプトの数も前半しか出場していなかったことを考慮すると多い方だ。枠を捕らえることはできなかったが、惜しいシュートも一本あった。彼はただ自分の仕事をしたまでで、彼を出すということはこうした試合展開を作るということである。イングランド戦は彼を後半から出したことで中盤での守備のリスクが軽減し、中盤の流動性が無くなった一方で守備を重視した安定感を獲得することができた。


 チアゴ・モッタとこの日の戦術の相性が悪いことがわかると、プランデッリは後半の最初から彼に代えてカッサーノを投入した。5バックに対しての2トップは、FWが常に2人から3人の選手を相手にすることになって苦しくなるが、カッサーノを少しバロテッリの後方に配することによってその懸念を無くすことに成功した。カッサーノに対応するためにコスタリカのDFが後方から剥がされ、それが徐々に突破口を広げていった。
 チアゴ・モッタの交代によって中盤にスペースが生まれ、カンドレーヴァのボールタッチ数も増えたが、ここでカンドレーヴァのコンディションの悪さが確実なものになってきた。前半からドリブル突破に失敗するシーンは目立っていたが、後半に入るとパスのミスやセンタリングの精度の悪さが如実に現れてきた。プランデッリはここで、カンドレーヴァに代えてインシーニェを投入した。
 続いて、明らかに疲弊していたマルキージオも交代。チェルチが投入され、イタリアの布陣は4-2-3-1で固定された。だが、この「固定」が良くなかった。イタリアの持ち味である「流動性」が無くなったことで、個人の力量に頼るところが多くなってしまった。インシーニェにしても、チェルチにしても、カッサーノにしても、技術は高いから一人ならばどうにかなるが、常に二人三人を相手にする状況になると立ち行かなくなる。さらに、この3人の間で一種の遠慮のようなものもあった。右にチェルチ、真ん中にカッサーノ、左にインシーニェ。この配置が固定されてしまったせいで、ピルロやデ・ロッシから来るパスが完全にパターン化されてしまい、ますます前線にボールが行きづらくなった。3人のトレクァルティスティに大胆さは一切なかった。
 なぜこうなったのか。話は単純で、プランデッリが就任して以来の4年間、イタリアには常に最低3人のMFがいた。ピルロ、デ・ロッシ、マルキージオ、モントリーヴォの4人はほとんどの重要な試合に出場し、戦術的理由やコンディションの問題でこのうちの誰かが欠場する場合は代わりのMFが起用された。4-2-3-1も使ったことはあったが、その場合もモントリーヴォが二列目の真ん中に入ることで4-3-3と併用することになり、安定して流動的な攻撃をすることができたから、パスコースが限定されることも、攻撃がワン・パターンになることもなかった。
 プランデッリとしては、ピルロ、デ・ロッシ、マルキージオの3人で中盤を構成し、残りの時間をやっていきたかったのだろう。タイミングを見計らってバロテッリをインモービレと交代させれば、また違った攻撃の形が生まれ、コスタリカのDFを混乱させることができたはずだ。しかし、前半からのマルキージオのハードワークが祟り、60分を過ぎた頃から彼の足は完全に止まってしまった。結果から言えば、ここでマルキージオに代えて投入すべき選手は、中盤のヴェッラッティかアクィラーニだった。だが、どうしても点が欲しいイタリアは、ここでFWのチェルチをピッチへ送り込んだ。そうして、以上のようなパターン化された攻撃に終始し、イタリアはコスタリカの牙城を崩すことを最後までできなくなってしまった。チェルチが入って以降、つまり3人の中盤の体制がなくなって以降、イタリアは流れの中では一度も決定機を作れていない。プランデッリは交代枠の使い方に失敗したのである。


 次の試合はウルグアイ戦。イタリアはウルグアイに勝つか引き分けるかで、グループリーグ突破が決まる。スアレスが復帰したことで攻撃に以前の破壊力が戻ってきたウルグアイと、ニ大会連続のグループリーグ敗退はなんとしてでも避けなくてはならないイタリア。今大会屈指の好試合になることは間違いないだろう。

2014年6月15日日曜日

イタリア対イングランド「それでもやっぱり4-4のブロック」

 ワールド・カップ初戦の対イングランド戦においてイタリア代表はこれまでとは大きく異なる、またも新しいフォーメーションを使って挑んだ。
 イタリア代表は、9月から勝利が全くなかった。およそ10の試合を捨てて、従来使ってきた4-3-1-2や4-3-3、3-4-2-1とは違う新しい布陣を試し続けてきた。2013年の終盤には4-4-2を基本的な布陣として固め、2014年3月のスペイン戦でもこれを採用した。しかし、ワールド・カップのメンバーを招集した段階でもまだプランデッリは、最終的な判断を下していなかった。

 最後の強化試合となったルクセンブルク戦は、4-1-3-1-1というイビツな布陣で挑んだ。
 4バックの前にデ・ロッシを置き、その前にはマルキージオ、ピルロ、ヴェッラッティという3人のパサー、トップ下には運動量に定評があるカンドレーヴァが入り、バロテッリがワントップとして前方に構えた。中盤の深い場所からのオーバーラップに相手は上手く対応することができず、イタリアは多くのチャンスを作ることに成功した。
 ガッゼッタ・デッロ・スポルトなどを始め、多くのイタリアのサッカー・メディアがこの布陣でワールド・カップの最初の試合を戦うだろうと予想していた。
この新しい布陣に至る過程などはこちらで

 しかし、イタリアは実践経験のない、全く新しいものを採用した。
 形自体は、特に新しいものではない4-1-4-1だ。ポピュラーな布陣ではないが、今までにいくつかのチームが採用してきている。しかし今回のイタリア代表の4-1-4-1では、その中身に特徴的な点が多い。
 この布陣の中で自由な動きを許されているのが、ピルロとヴェッラッティの二人のMFだ。彼らは中盤の底に入ったデ・ロッシの前で、いわゆる「レジスタ」の仕事をするセントラルMF。パスの能力は頗る高く、長短問わずに正確なボールを蹴ることができ、パスコースを見つけるのも早い。所属チームであるユヴェントスとパリ・サン・ジェルマンにおいて、どちらもポジションに若干の違いがあるとは言え、敵陣を少し離れた位置からチャンスを演出する仕事を全うしている。
 この試合では、ピルロとヴェッラッティは縦横無尽に好き勝手に動いた。デ・ロッシを挟んで左側のピルロと右側のヴェッラッティという一応の定位置はあるが、そんなのはお構いなしといった様子である。特にピルロはデ・ロッシの位置に行くことを好み、ヴェッラッティは左サイドのライン際に顔を出すこともあれば、敵陣深くにも侵入した。
 この二人の自由な動きをカヴァーしたのが他のMF、とりわけデ・ロッシとマルキージオだ。ヤドカリがカラに篭もるかのように、ピルロが自陣深くのいつものお気に入りの場所へ移動すると、デ・ロッシはそれに対応してやや前方にポジションを取る。ヴェッラッティが左サイドに大きく移動すれば、これも同様にデ・ロッシが右寄りにポジションに移動し、またはマルキージオが中盤に入ることもあった。
 自由なピルロとヴェッラッティのカヴァーをするのは主にデ・ロッシと、それからマルキージオが担ったが、サイドMFとして出たカンドレーヴァとマルキージオには他の仕事があった。バロテッリのサポートである。無策にこのような4-1-4-1を採用した場合、バロテッリが孤立してしまい何もできなるから、マルキージオとカンドレーヴァにはFWやトップ下としての働きも多く求められた。彼らは頻繁に敵のボランチ(ジェラードとヘンダーソン)がいるところに顔を出し、中盤の3人とバロテッリの橋渡しの役を担った。

 守備に関して。プランデッリはこの1年間、4-4の守備ブロックを厚く信頼していた。ベーシックな4-4-2の布陣はこれを最もシンプルに行うことができ、先述の通り、スペインのような強豪国を相手に採用した。4-1-4-1であっても、プランデッリのこの軸は変わらなかった。
 4バックはかなり中央に絞って守りに入る。お互いの間隔は手を伸ばせば届いてしまうのではないかというくらいに近く、さらに横に綺麗に整列しているから穴がない。
 その前に立つのが中盤の4人だ。デ・ロッシとピルロは必ずそこにいる。残りのヴェッラッティ、マルキージオ、カンドレーヴァは、お互いに連携を取りながら、そのうち2人が中盤に入り、残った1人がバロテッリと共に高い位置でプレイをし、前線から激しくプレスをかけていった。ゾーンプレスがそこには徹底されており、流動的に中盤の4人のメンバー構成と位置取りは変化する。
 イングランド代表が人数と時間をかけて攻めようとする場合に限り、バロテッリをひとり前線に残して、ピルロとデ・ロッシとヴェッラッティが真ん中にDF同様に絞り、マルキージオとカンドレーヴァがサイドの攻防に出た。

 前半はこの布陣において少しの不都合が生じた。イングランド代表は伝統的にサイド攻撃を重視するチームであるため、サイドMFの質が高く、サイドDFとの連携もキチンと取れている。そのせいで、特に左サイドではマルキージオとキエッリーニが上手いように突破されるシーンが目立った。
 後半に入り、守備を弱点とするヴェッラッティに代わり、インテルやバルセロナでは中盤の底でプレイをしていたチアゴ・モッタが入ると、前半の課題が解決された。足下でボールをもらいたがるバロテッリに代えて、裏への飛び出しを得意とするインモービレを投入したこともこれに貢献し、さきほどの守備ブロックから無造作に蹴りだされたボールにインモービレが反応するようになった。カンドレーヴァとマルキージオが担当していた橋渡しの役も緩やかになっていった。
 カンドレーヴァを下げて、「器用貧乏」と揶揄されるほどにあらゆる役割を卒なくこなすことができるパローロが入れば、鬼に金棒。役割が多様に入り組んだ複雑な中盤は、さらに安定感を増し、疲弊したイングランド代表の手に負えなくなってしまった。

 これほど複雑な戦い方を平然とやってのけるチームは、ワールド・カップの出場国の中ではイタリア代表しかいないだろう。それは、万能型の選手を多く招集したからこそできることであり、MFのタレントが豊富にいるこの世代ならではの戦術だ。
 カッサーノやチェルチ、インシーニェなど、素晴らしい実力を持つ攻撃的な選手がこの試合ではまだ出ていない。バロテッリの能力もFWの正規のパートナーがいるとさらに良く発揮される。イタリアにはまだまだ隠し球があるのだ。
 イングランド戦に勝利したこと、さらに強敵ウルグアイがコスタリカに敗れたことで、イタリアのグループリーグの突破はずっと近くなった。もちろん、コスタリカを侮ることはできないが、優勢に試合を進めることができるだろうと予想される次の試合では、イタリアはFWに厚みを持たせた新しい戦い方を選ぶと考えられる。

2014年6月14日土曜日

CL決勝に続き、カシージャスの致命的なミスが失点に繋がる

 ひと昔前まで、イケル・カシージャスは世界最高のGKの一人として高い評価を受けていた。ジダンやロナウド、ベッカム、イエロといった名だたるスーパースターと共に弱冠20歳にしてレアル・マドリードの絶対的なレギュラーとなった。カリスマ性とキャプテンシー、そして世界屈指のセービング能力を持って、目指し得るすべてのタイトルを手にした。
 しかし、モウリーニョがチームの守護神にライヴァルのディエゴ・ロペスを抜擢して以来、試合に出場することが少なくなり、徐々にその名声に陰りが見え始めた。カシージャスの欠点である足下の技術の拙さを、モウリーニョは重く見たのだ。
 他のポジションとは異なり、GKの場合はスタメンから外されてしまうと、滅多に試合に出ることはできない。スーパーサブとして後半途中から起用されることもなければ、運動量の少ないこのポジションではターンオーバーの影響もあまり出ないからだ。モウリーニョの後任となったアンチェロッティもまた、GKに高い足下の技術を求める監督であったために、カシージャスは2013-2014シーズンにおいて15試合にしか出場できなかった。そのうちリーグ戦での出場はたった2試合だ。統計を見ると、Whoscored.comによれば、ディエゴ・ロペスの71.6%のパス成功率に対し、カシージャスは65.3%となっており、彼の弱点が如実に現れている。

 カシージャスの試合感が鈍っていることは、今シーズンの終盤からハッキリと目立つようになった。
 チャンピオンズ・リーグ決勝の対アトレティコ・マドリード戦、失点の原因は明らかに彼にあった。不必要で、中途半端な飛び出しによってゴールマウスを空けてしまい、ゴディンが苦し紛れに頭で合わせた弱々しいボールがいとも簡単にネットを揺らすことになった。
 これと同じミスを、ワールド・カップの第一試合、対オランダ戦においても犯した。オランダの左ウィングバック、ブリンドのアーリークロスに対して、「フライング・ダッチマン」を彷彿とさせる鮮やかなダイビング・ヘッドを決めたファン・ペルシーは素晴らしかった。全速力で裏へ走りながら後方からのボールに合わせるという難しいプレイを、カシージャスの位置を量りつつ完璧にこなすことができるのは、世界広しと言えども彼しかいないだろう。しかし、このファン・ペルシーのゴールは、カシージャスの犯した小さくも重大なミスを上手く突いたものであることを忘れてはならない。

ファン・ペルシーのゴールシーンはこちら

 基本的なことではあるが、GKはシュートを受ける際、一歩でも前に出たほうが処理をし易い。ゴールライン上に立っていれば左右それぞれ3.5メートルずつを守らなくてはならないのに対し、相手シューターに近付けば、立っているだけで全てのシュートコースを遮断することができるからだ。
 ただし、前に出れば出るほど、別の視点から見たときにゴールがガラ空きになってしまうため、例えばシューターが横10メートルの位置にいる味方にパスを出せば、ボールを受けた彼は無人のゴールを前にすることになり、こうしたリスクへの対処を含めた総合的な判断力がGKにとって最も重要なスキルとなる。
 その他の前に出たときの弊害として、ループシュートを打たれる危険性がある。同様にゴールライン上に立っていれば、ゴールの高さは2.4メートルであり、手を伸ばして少しジャンプをすれば失点を防ぐことができるが、前に出ると頭上の遥か上を行くボールも、放物線を描いてゴールに入ってしまう。ただし、ループシュートのリスクについては、思い切って前に出れば軽減させることは可能だ。最もマズいのは、中途半端に前へ飛び出してしまうことである。
 ファン・ペルシーのゴールシーンでは、彼の横には実質的にオランダの選手は誰もおらず、シューターは彼しかいないのであるから、カシージャスは一歩でも前に出て横のシュートコースを一切遮断するか、徹底的に後ろで待ち構えてシュートに対処するかの判断をする必要があった。前に出れば出るほど、横のコースが無くなる一方でループシュートを許すことになる。後ろにいると横のコースは広くなってしまうが、ループシュートの危険性はゼロになる。
 カシージャスは、この最初の失点において、最悪の答えを出してしまった。映像を見れば分かると思うが、ファン・ペルシーのシュートに対し、一度前に出た後に下がりながら対処をしている。前に出たことで上のコースを空け、さらに後ろに下がったことで左右のコースをも空けてしまった。カシージャスの一連の判断すべてが、ファン・ペルシーのシュートコースを上下左右に広げていたのである。

 カシージャスが前に出ていたことを走りながら知ったファン・ペルシーは、トラップをしてはすぐに寄せられてシュートコースを切られてしまうだろうという判断から、直接、頭で合わせたのだろう。加えて、カシージャスが前に出ていたから、彼はさらにループシュートを選択した。しかし、カシージャスの判断ミスを考慮すれば、ファン・ペルシーがボールに触れる瞬間に、カシージャスは一歩、また一歩と下がっていたのだから、トラップをしたところで彼には冷静にシュートを打つのに充分なスペースと左右のシュートコースが用意されており、つまりファン・ペルシーは何をやっても点を取ることができた。


 似たようなシーンが、2006年のワールド・カップにあった。決勝のイタリア対フランスの試合、右サイドからのアーリークロスに合わせたジダンのヘディングシュートだ。尤もすべての条件が一致しているわけではなく、このとき、ジダンの前方には何人かのイタリアの選手がいたため、ジダンにトラップの選択肢はなかったのだろうが、イタリアのGKブッフォンは後ろで構えることに専念した。そして、フリーで打ったジダンのシュートは、ゴールラインぎりぎりで構えるブッフォンまでの距離があったことから、ブッフォンには反応するのに充分な時間が用意されていた。

そのシーンはこちら

 カシージャスと共に、21世紀の最初の10年間において世界最高のGKと評されてきたブッフォンは、セービング能力や反応のスピードではそのライヴァルに劣ってしまう。身体が大きいために動作がどうしても重くなってしまうためだ。言い換えればブッフォンの反射神経は、世界最高のものではない。しかし、彼はそれを絶対的な判断力を持って、シュートに対する準備に少しでも長い時間をかけることで、数えきれないほど多くのスーパーセーブを実現させてきた。

 ブッフォンもカシージャスも、年齢を考慮すると、今大会が最後のワールド・カップになるかもしれない。21世紀に入って以来、常に世界のGKの頂点に君臨し続けた二人の集大成が、この大会において飾られることになる。いくつもの困難を乗り越え続けてきたカシージャスの再起を願いたい。

2014年6月12日木曜日

悲劇と誤算によって生まれたイタリア代表の新しい戦術

 モントリーヴォの離脱はプランデッリに大きな課題をぶつけることになった。
 直近2年の試合においてモントリーヴォはそのほとんどに出場し、イタリア代表の不動のレギュラーに定着していた。マルキージオ、ピルロ、デ・ロッシの前でトップ下としてプレイする彼は、所属クラブであるACミランでのボランチの経験とエッセンスを取り入れたパフォーマンスをし、プランデッリの信頼を着実に積み上げてきた。
 そんなモントリーヴォがワールド・カップまで二週間と迫ったところで負傷離脱した。今年中の復帰も危ぶまれており、ACミランも2014-2015シーズン前半を共に戦う、モントリーヴォの代役探しに奔走している。
 モントリーヴォが離れた席を獲得したのが誰であるのかはプランデッリにしか分からないが、彼の穴を埋める選手として最も注目されるのがマルコ・ヴェッラッティなのは間違いない。2年前、ペスカーラでセリエBを席巻した二人のパートナー、インモービレとインシーニェと共にメンバー入りを果たした彼は、すでに22歳にしてパリ・サン・ジェルマンでポジションを確保し、高い評価を受けている。モントリーヴォが負傷離脱をしたアイルランド代表戦、ルクセンブルク代表戦においても高いパフォーマンスを披露した。
 今までの傾向からして、モントリーヴォが外れたところは、実際にモントリーヴォを出さなかった試合において同じポジションでプレイをしてきたチアゴ・モッタやカンドレーヴァが担当するのが定石だが、このヴェッラッティの活躍はプランデッリに新たな発見をもたらしたと思われる。


ヴェッラッティという誤算
 ヴェッラッティは、視野の広さと精緻なパスを送る技術をもってピルロの後継者と言われているが、似て非なる所、ピルロよりも圧倒的に優れている部分も少なからずある。
 間違いなく言えることは、彼は今までのイタリア代表にはいなかった新しいタイプの選手だということだ。あえてプレイ・スタイルが似ている著名な選手を挙げるとすれば、クロアチア代表のモドリッチに近い。ボールを持ってから素早い判断で攻撃の糸口を見つけると、自分からそこへドリブルで仕掛けるわけでもなく、キラーパスを送るわけでもなく、チーム全体のギアを上げていくプレイを選ぶ。ユーヴェやACミラン、イタリア代表の試合を熱心に見る人であれば、ピルロのパス一本によって気付いたら点が入っていた経験があると思う。ヴェッラッティが得意とするものはそれではない。見落とすことはないが、実感としてチーム全体のリズムが上がっていることが明白に分かる類のものだ。ヴェッラッティの選択に周りの選手が連動し、攻撃のスピードがにわかに加速する様は観ていてワクワクする。要するに、いくつかの段取りを飛ばしてチャンスへ直結するピルロのパスとは全く違う、ひとつひとつの段取りはキチンと踏むがその展開が異様に早い演出をヴェッラッティは創りだすことができるのである。
 プランデッリからしてみれば、ヴェッラッティのこの潜在能力とチームへの順応性の高さは、この上なく良い誤算だっただろう。「ここにモントリーヴォがいれば」という妄想をしたくなる気持ちはたいへんよくわかるが、ヴェッラッティの台頭とい現実に目を向けてみても、悲観ばかりする必要がないことは一目瞭然だ。


従来の枠組みにヴェッラッティを組み込んだ戦術
 プランデッリは初戦のイングランド戦で特異な布陣を採用すると思われる。数字で表せば、4-1-3-1-1となる。「ダイアモンド型」は多くのチームにおいて使われてきたポピュラーな布陣だが、イタリア代表のダイアモンド型ではひし形の対角線の交点上にもう一人、選手が配置される。ひし形の中心でプレイするのはピルロだ。デ・ロッシは、ピルロのさらに後方からチームを操っていく。ピルロの両翼にいるマルキージオとヴェッラッティは、攻撃的MFとしての適正も充分に高い選手であり、その長所を生かして積極的に攻撃参加をしていく。トップ下のカンドレーヴァは、中盤のサポートをしながらFWとしての仕事もこなさなくてはならないが、器用な選手だからそれに苦労することはないだろう。
 イングランド代表を始めとする相手チームにとって最も厄介なのは、この布陣を制圧した過去のデータがほとんど無いことだ。4-4-2や4-3-3といった定番の布陣に対しては、何度も改良が重ねられた守り方が存在する。この法に則ることができれば失点をすることはなく、だからこそ「すべての選手が完璧なプレイを続けたらスコアは永遠に0-0のまま」なんていうミシェル・プラティニの名言が生まれ、その均衡を崩すことができる選手には「怪物」や「ファンタジスタ」の称号が与えられてきた。
 今大会のイタリア代表にはカッサーノやインシーニェといった、多くの人が連想するファンタジスタ像に当てはまる選手はいる。彼らはテクニックに長け、緩急を巧みに操ったドリブルを駆使し、相手を翻弄する。しかし、トッティやロベルト・バッジョ、デル・ピエロらと比べると、どうしても小粒感は否めない。実際に、この二人は直前までメンバーに入ることができるか否か、分からなかった選手である。
 だからといって、イタリア代表の躍進が期待できないわけではない。圧倒的なカリスマ性を誇る偉大なファンタジスタがいなくても、今回のイタリア代表は戦術自身がファンタジスタであるからだ。ピルロ、デ・ロッシ、ヴェッラッティ、マルキージオという世界トップクラスの配球力のある選手を中盤に置く布陣はまるで対策の目処が立たない。昔のように「ピルロさえ潰せばなんとかなる」とはならず、またいずれの選手も、パスの貰い手としての技術においても高いものを持っている。
 この特異な戦い方に慣れたところで、中盤の誰かに代わってチェルチ、インモービレ、インシーニェ、そしてカッサーノといったFWの選手が一人投入されるだけで、彼ら4人にはそれぞれ全く異なる個性が強く備わっており、このチームの様子はガラッと変わる。


 戦術そのものをファンタジスタにしてしまったプランデッリの腕には、頭が上がらない。交代枠の多彩さにおいても、従来のイタリア代表を凌駕する。キャプテンのブッフォンはベスト8を目標に掲げるなど謙遜の姿勢を崩さないが、優勝してもおかしくはない準備を進めていることは確かだ。

2014年5月21日水曜日

今年の夏は金満クラブの選手がお買い得?

 フィナンシャル・フェア・プレイ(FFP)の規定違反により、マンチェスター・シティーやパリ・サン・ジェルマン(PSG)ら9つのクラブに対し、UEFAがついに制裁処分を下した。それぞれのクラブは、罰金やチャンピオンズ・リーグの登録選手数の制限、そして現在のチーム全体のサラリーを下げるよう勧告されている。特に制裁が大きいのはマンチェスター・シティーとPSG。彼らには暫定6000万ユーロの罰金が科せられた。チームを再編し収支状況などが改善されれば、罰金は2000万ユーロに減額されるため、彼らは今後2年の間にあまりに多すぎるトップ・プレイヤーを整理したいところだ。


 マンチェスター・シティーは昨年に続き今年も、「世界で最も多くの給料を選手には払っているスポーツチーム」となった。スター選手が集まることで有名なニュー・ヨーク・ヤンキースを2位に、レアル・マドリードとバルセロナをそれぞれ4位と5位に抑えた。詳しくその額を見てみると、一週間に102万ユーロを選手の給料だけに使っている(レアル・マドリードは同96万ユーロ、マンチェスター・ユナイテッドは同83万ユーロ、チェルシーは同76万ユーロ)。マンチェスター・シティーの給料などは以下の通り。


選手名
ポジション
出場試合数
得点
アシスト
年齢
年俸
ジョー・ハート
GK
31


27
4.68
コンパニー
CB
28
5
1
28
10.4
ナスタシッチ
CB
11(2)


21
6.3
レスコット
CB
8(2)


31
4.68
デミチェリス
CB、LSB
27
2
1
33
0.7
ミカ・リチャーズ
RSB、CB
2


25
2.75
クリシー
LSB
18(2)


28
5.72
コラロフ
LSB
21(9)
1
7
28
6
サバレタ
LSB、RSB
34(1)
1
6
29
3.38
フェルナンヂーニョ
CMF
29(4)
5
3
29
5.2
ヤヤ・トゥーレ
CMF
35
20
9
31
15
ハヴィ・ガルシア
CMF
14(15)


27
4.3
ヘスス・ナヴァス
SMF
18(12)
4
7
28
2.5
ミルナー
SMF
12(19)
1
4
28
3.8
ナスリ
SMF、OMF
29(5)
7
7
26
8.4
ダヴィド・シウヴァ
SMF、OMF
26(1)
7
9
28
6.76
ネグレド
FW
21(11)
9
3
28
3.9
アグエロ
FW
20(3)
17
6
25
10.4
ヨヴェティッチ
FW
2(11)
3
1
24
6.24
ゼコ
FW
23(8)
16
1
28
8.47
(単位はミリオン・ポンド)

 クラブが公表していないため、これらの年俸は推定の域を出ず、また勝利給や賞金が別途に支給されるために実際の所得は、これを大きく上回ることになる。強豪クラブであれば、一度試合に勝つだけで選手は5万ユーロから10万ユーロの賞金がもらえる。
 他の同国でプレイする選手たちに目を向けてみると、マンチェスター・ユナイテッドのウェイン・ルーニーは1800万ポンドと郡を抜く高額年俸となるが、同チーム所属のマタは780万、今季アーセナルに加入したエジルは728万、チェルシーのランパードは784万、アザールは884万、リヴァプールのジェラードは728万ポンド、スアレスは1000万ポンドの年俸である。
 セリエAではASローマ所属のデ・ロッシの年俸が最も高く650万ユーロ(現在1ユーロ=0.81ポンド)、その他ディエゴ・ミリートが500万、テヴェスやトッティが450万、バロテッリが400万である。650万ユーロであれば、換算すると802万ポンドとなるので、セリエAのトップ・プレイヤーよりもプレミア・リーグの彼らの方が若干高い給与を受け取っていることになる。

 マンチェスター・シティーは、アグエロやヤヤ・トゥーレ、ゼコ、コンパニー、ナスリといったエース級の給料をもらう選手が複数人いることに加え、控えの選手であっても年俸が相当の額に上る。
 また、レアル・マドリードやバルセロナのような伝統的なブランド力のあるチームであれば、スタジアムへの観客動員数や放映権、スポンサー料、ユニフォームなどのグッズの売上など様々な収入が見込める一方で、マンチェスター・シティーの場合は、金儲けの才に溢れた経営者の功績もあり、それらが少ないとは決して言えないが、世界一に見合うようなものでもない。
 実際に、アメリカ経済誌Forbesがまとめたサッカー・チームの価値評価では、マンチェスター・シティーは7番目に位置しており、1位のレアル・マドリードの34億4000万ドルの価値と比べると、およそ4分の1の8億6800万ドルとなる。ニュー・ヨーク・ヤンキースであれば、この数字は25億ドルだ。

 しかし、不思議なことに、あまりマンチェスター・シティーの移籍の噂が浮上しない。
 イタリアのスポーツ紙はナポリからヨヴェティッチに対して移籍金1500万ユーロのオファーが届いていることを報じているが、624万ポンドの年俸を貰いながら2試合でしか先発出場をしなかった彼は残留の意向を述べている。
 実現しそうな移籍を挙げるとすれば、ミルナーのアーセナル行きとヤヤ・トゥーレのバルセロナ復帰くらいだろう。

 もっとも、単純に彼らにFFPのルールを守る気があまりないのかもしれない。
 そもそも、FFPとは、あらゆるクラブを存続させるために財政の健全化を促す制度だ。基本的なルールとして、収入以上の支出をすることを許さず、改善の見られないチームには罰則が適応される。マンチェスター・シティーらは、オーナーのポケットマネーを使い(オーナーが一人ではなくグループ会社であったりもする)、選手を獲得する行為があまりに度が過ぎたために、罰則が適応された。
 金持ちがチームのバックに付くという行為は、もしもその金持ちが気分でそれをやめた場合に大打撃を被る。2年前のマラガが良い例だ。カタールの王室によって買収されたこのチームは、当初はその潤沢な資金によって多くの有名選手を獲得、チャンピオンズ・リーグにも出場を決めたが、突如、経営不振が表面化し、選手の給料が払えなくなってしまった。現在では、UEFAから2017年まで欧州カップ戦出場停止処分が下されている。

 しかし、マンチェスター・シティーからすれば、マラガと一緒にされたくない気持ちはあるだろう。マンチェスター・シティー経営は、金持ちの娯楽というような側面は一切なく、City Football Group社を軸にした世界的サッカー事業のひとつである。実際に、クラブの基礎づくりのために投じた大金を凄まじい勢いで彼らは回収している。さすがは、経済・経営の天才の集団である。行き過ぎた高額年俸の問題を今後2年以内に人員整理を通して改善すれば、ニュー・ヨーク・ヤンキースやレアル・マドリードに肩を並べる世界最大のスポーツクラブが完成する。
 
 PSGも、上手くFFPの抜け道を探している。
 ヴェッラッティやシリグらは年俸が上がる直前、彼らの比類なき才能の片鱗が小さいクラブで少しだけ見え始めた段階で獲得していたため、マンチェスター・シティーほどに莫大な額になってはいないものの、イブラヒモビッチの1500万ユーロ、カヴァーニの1000万ユーロの破格の年俸はチャンピオンズ・リーグなどで恒常的に結果を残さなければ手に負えなくなってしまう。
 なによりも選手を獲得する際に払った金額があまりに膨大で、クラブ経営のみによって3億ユーロを越える支出を回収する手立てがあるとは思えないが、驚くことに彼らは非常な姑息な手段ではあるがそれを持っている。ひとつはその移籍金を分割払いにし、年単位での支出額を抑えること、もうひとつは意味深長な「その他の歳入」(大方、事実上オーナーからの融資だろう)によりクラブ経営を続けていることだ。ボロはそう遠くないうちに出てくるかもしれないが、これでとりあえずFFPの問題を回避しようとしている。
 そして、この期に及んで、PSGは今夏、チェルシーのアザールを5000万ユーロで獲得に乗り出した。

 この2チーム以外にも、ガラタサライやゼニト・サンクトペテルブルクなど、UEFAの制裁の対象になった「金満クラブ」が7チームある。それらに所属する高給取りの何人かは自身の実力に見合う名門クラブへ移籍することになるだろう。ちょうど、サミュエル・エトーがアンジからチェルシーに移籍したように。しかし、その選手がそう多くいるわけではない。ほとんどがチームに残る。

 つまり、FFPの制裁があったからといっても、欧州サッカーの世界が健全化することもなければ、健全なクラブが金満クラブの選手たちを安く買うこともできそうにないのだ。