2014年7月20日日曜日

ネドヴェドのインタビュー「コンテ辞任とアッレグリについて。スアレス噛み付き事件で彼が取った行動とは」

Tuttosportにネドヴェドのインタビューが掲載された。19日に「コンテ退任の真相」として一部が紹介されたものの続きである。

「アントニオ(・コンテ)は、チームとの確執ではなく、監督を続ける意欲が無くなったから辞任をした。すでに5月には辞任の意向を私たち幹部に告げていたんだけど、話し合いをしてバカンスの間にもう一度考えることになった。だが戻ってきた時も、彼の決意は変わっていなかった。
メディアで言われていることは何一つ正しくない。彼は単純に疲れていただけなんだ。昨シーズンの終わりにそう言っていたとはいえ、それでも彼の決断に私たちは驚いたよ。だけど、メルカートの戦略は何一つ変わらない。つまり、私たちはチームに重要な選手を一人も売るつもりはない。」

これに加えてTuttosportに20日に掲載されたインタビューは以下のとおり。
「私は彼の決断の内実をキチンと理解している。ユヴェントスにおける監督業を辞めた時、彼は疲れ果てていた。そこには、彼はどんなことも怠けようとしなかったという理由がある。家でビデオを見ながら研究をすることや、選手たちに何をして欲しいかを説明すること、スタッフに会うこと、全てを彼は一生懸命にやった。この完璧主義が3シーズンの時を経て、彼の大きな疲労に繋がっていった。
私たちにとって、コンテの辞任は大きな損失だ。コンテは偉大な監督であり、彼のやってきたことを私たちは賞賛している。彼が素晴らしい仕事をしてきたからこそ、私たちは彼がいなくなってとてもさみしく感じている。
ワールド・カップの間、全てのチームがその後の事(新シーズンに向けたメルカート)の準備をしていた。だから、コンテが辞任をしたとき、多くの人がその原因をメルカートの失敗だと言ったのだろう。だが、私たちの計画は最初からずっと明白だ。それは全ての優秀な選手を残留させるということ。もちろんヴィダルとポグバはここに含まれている。
ただし、大きな移籍話が来た時はそれについて考えないといけない。それが私たちの仕事である。けど、最初から彼らを売るつもりはない。私たちはチャンピオンズ・リーグで勝ち上がろうとしているわけだから、私たちの計画に無い選手しか放出はできないんだ。」

アッレグリについて
「私たちはコンテの辞任の後にすぐに行動に出た。厳しいことだけど、コンテがいなくなったことが大きな損失だからこそ、私たちはアッレグリのような優秀な監督を一刻も早くトリノに連れてこなくてはならなかった。短い時間に監督を見つけることは簡単なことではなかった。
私たちには二人の候補がいた。アッレグリとマンチーニだ。マンチーニはイタリア代表の監督になるという話があったから、私たちはアッレグリと合意をした。彼は素晴らしい戦術的知識を持っており、勝者である。」

キエッリーニについて
「最初、キエッリーニがスアレスに噛まれた事に対してまるで子供のように振る舞った時、私はそれを見て気分が悪くなった。私はマロッタに聞いてから、すぐにキエッリーニと直接話をしたよ。しかし、ジョルジョはあの後にすぐに反省したみたいで、FIFAにスアレスの罰則期間を短くするように願い出ていた。キエッリーニはこのように知的で素晴らしい選手だが、スアレスもまた、偉大な選手だよ。できることならすぐにユヴェントスに連れてきたいね。実際に2年前に私たちは彼を獲得しようとしていたけど、私もそれには乗り気だった。彼は偉大な選手である。それで充分だ。」

2014年7月16日水曜日

アッレグリとピルロの確執についての誤解

   コンテ監督の電撃的な退任から間も無く、ユヴェントスの新監督が誰になるかが話題になっている。マンチーニ、スパレッティ、さらにはジネディーヌ・ジダンまでもが候補に上がる中で、最右翼は元ACミラン監督のマッシミリアーノ・アッレグリだ。2011年にミランをイタリア・チャンピオンへと導いた彼の手腕に疑いの余地は無い。しかし、ユヴェントス・ファンには一つの懸念材料がある。

   2011年の初夏、ACミランには優勝の歓喜と共に、途方もない失望が訪れた。クラブの象徴であるアンドレア・ピルロの退団だ。2010-2011シーズン、度重なる怪我によって悩まされた彼は6月の契約満了をもって、ライヴァル・チームのユヴェントスへ移籍した。
   そこには二つの理由があった。一つは、ミランの経営方針に対する違和感だ。ミランは、30代のベテラン選手とは1年ずつの契約延長しか基本的にはしない方針を持っている。当時はピルロだけでなく、ネスタやガットゥーゾ、インザーギ等の選手も来季の契約を持っていなかった。将来的な安定を望むピルロはミランに対して3年契約の締結を打診したが、断られ、一方で32歳の彼に3年契約を持ちかけたユーヴェへと移籍を決めた。2014年6月にユーヴェでの契約を終えることになっていた彼は、ユーヴェからの2年の契約延長の申し出を受け入れたが、ユーヴェのこの方針が彼には合っていたのである。
   ピルロがミラン退団を決めたもう一つの理由は、アッレグリ監督だ。アッレグリ監督の戦術は、ピルロが最も愛するポジションに、ピルロのような司令塔ではなく、アンブロジーニやファン・ボメルのような潰し屋を起用する。今年1月まで率いていたチームでは、デ・ヨングをこのポジションに配した。怪我が明けても、ピルロは「中盤の底」ではなく、現在のユヴェントスで言えばヴィダルやポグバがプレイするポジション、インサイドハーフで起用されることが多かったが、これに彼は不満を持ったようである。

    要するに、アッレグリ新監督の就任に対してユヴェントス・ファンが持つ懸念材料とは、アッレグリとピルロの「不仲」なのだ。
   しかし、ここには一つの誤解があるように思える。アッレグリは決してピルロを低く評価しているわけではないのだ。ピルロ自身もインタビューで言っている事だが、アッレグリはとにかく勝利に拘る監督であり、その目標の実現の為に、他の数多のイタリア人監督と同様に、まずは守備を重視する。失点をしなければ負ける事は無いという信条を強く持っているからこそ、守備の要となる「バイタル・エリア」にピルロのような、守備を不得意とする選手を配する事を、彼は好まないのだ。だが、同時に彼には、点を取らなければ試合に勝てない事もよく知っている。そして、守備を徹底しながらも点を取るために必要なのが、ピルロのような「レジスタ」であり、彼はピルロを守備の負担が軽くて済むポジションへ持っていった。
   アッレグリとピルロの旅が終わって3年が経ち、世界のレジスタは皆、アッレグリがピルロに望んだポジションであるインサイドハーフでプレイしている。ピルロの後釜としてミランへやって来たアクィラーニやモントリーヴォも、このポジションで活躍してきた。加えて、ジダンやカカーのようにトップ下としてプレイすることが難しくなった2010年代のサッカーにおいては、エジルやオスカル、スナイデル、メッシといった選手すらも、後方のインサイドハーフの領域でパスを受けて、ゲームを作り出そうとしているが、今年のワールド・カップを思い出して頂ければ、この風潮が分かるかと思う。

   アッレグリは00年代に司令塔の革命を起こしたピルロに、2010年に再びサッカー界の未来を託そうとした。そして、2014年のワールド・カップ。ピルロは出場した3試合のうちの2試合で、かつてアッレグリの望んだポジションでプレイをし、自身のアイデンティティを微塵も遜色することなく、最大限の貢献を果たした。
   23歳で革命を起こした彼が、サッカー選手としては晩年の35歳で再び革命を起こすかもしれない。ピルロの後継者であるヴェッラッティは、いち早くことインサイドハーフでプレイをしているが、アッレグリ体制の新生ユヴェントスで「インサイドハーフのレジスタ」の振る舞い方というものを後輩たちに教える機会が今、彼の目の前にある。何よりも、ベテランもベテランという年齢に達してから、新しいサッカーを始める選手というのは何とも粋ではないだろうか。

2014年7月14日月曜日

ヴィダルの問題のコメントが大胆に誤訳誤解されている可能性

 ユヴェントスのMFアルトゥーロ・ヴィダルは、4000万ユーロ以上の多額の移籍金と引き換えにマンチェスター・ユナイテッドへ移籍するのではと噂されている。英国発信のこれらの噂に対してイタリア各紙は、「何のコンタクトも無い」「噂の域を出ない」と否定的な態度を貫くが、このほど、ヴィダルのコメントが彼の母国チリのニュース・メディアLa Terceraによって報道された。

 このコメントを、とある英国メディアが以下のように翻訳して、記事を作った。
Yes, I heard these rumours, but I don’t want to talk about it. For the moment I am just enjoying my vacation, then when I return to Italy we’ll see. Manchester United? I am relaxed, but of course who wouldn’t be pleased with interest from one of the best clubs in the world?”
ああ、噂については聞いているよ。けど、これについては僕は話したくない。今、僕はバカンスを楽しんでいるから、イタリアに戻ってから状況を見たい。マンチェスター・ユナイテッド?僕は今落ち着いているけど、一体誰が世界最高のクラブの一つからの関心に喜ばないんだ?

 このコメントがTwitterなどで拡散され、ヴィダルが移籍を示唆しているのではないかと議論されている。一日のインターバルを置いて、日本でもこの英文記事が和訳された形で広がった。本当にヴィダルは移籍をしたいのであろうか?イタリア・メディアはこの記事が出た直後に、またもユヴェントスとマンチェスター・ユナイテッドとの間にヴィダル移籍に向けた接触が何も無いことを報道したのだが。

 では、ここで原文を読んでみたい。
Vidal se encuentra de vacaciones en Chile y este sábado se refirió a la posibilidad de dejar Juventus y confesó que "he escuchado los rumores, pero no he hablado más del tema. Estoy disfrutando las vacaciones y cuando vuelva a Italia veré que pasa. Estoy muy tranquilo y a todos nos gustaría estar en uno de los mejores equipos del mundo". 

 私はスペイン語を勉強したことが無いので正確な翻訳はできないが、その兄弟言語であるイタリア語と母言語であるラテン語の知識を踏まえて、これの最後の一文を解釈してみる。
私は今落ち着いている。そして、すべての人が世界最高のクラブの一つにいたいと思うだろう。

 調べた所、 太字で表したestarという言葉は、イタリア語sono/essere、ラテン語sum/est、英語のbe動詞にあたる言葉である。中学校で習った英語を思い出していただければよいが、be動詞の意味は「いる・ある・である」が基本であり、"I have been to Tokyo twice." などの一部の場合に限っては、「行く」と解釈される。
 ラテン語やイタリア語で、sonoやsumが「行く」と解釈されることは英語と同様に稀であり、おそらくはスペイン語でもそうだろう。
 加えて言えば、英語でbe動詞を「行く」と解釈する場合は、方向や進路を表す前置詞toが後続しなくてはならないが、今回の言葉でestarの後ろにあるenという前置詞は英語inとほぼ同義で、要するに「~に、~の中に」といった、既存の場所にそのまま存在し続けることを意味する言葉である。

 これらを考慮して、最後の一文を完全に単語を置き換える形で英訳した場合は、
(I) am very quiet/relaxed and all of players will/would be in one of the best teams.
とするのが適切であろう。


 イタリア・メディアでは、このヴィダルのコメントの当該部分を以下のように訳している。
Sono molto tranquillo e a tutti piacerebbe stare in una delle migliori squadre del mondo.
私は今とても落ち着いており、全ての選手は世界最高のチームの一つに残りたいと思うだろう。 

 スペイン語もイタリア語も全く読めない人でもお分かり頂けると思うが、スペイン語によって話されたヴィダルのコメントの最終文とイタリア語のこの文章は、さすがは兄妹言語であり、tranquiloとtranquillo、a todosとa tutti等、非常によく似ている語が同じ箇所で使われている。
 逐語訳がされたこのイタリア語訳文の中で唯一、例外がstareだ。一人称複数(私たち)に対応したessere動詞(be動詞)のsiamoや、三人称複数(彼ら)のsono、スペイン語の場合でもそうであるが仮定法的用法としての原型essereではなく、英語のstayと同義のstareをここで使っている。stareの意味が「(その場所に)とどまる、残る」であることを考えれば、イタリア・メディアはヴィダルのコメントを「私は世界最高のチーム(ユヴェントス)に残りたい」と解釈して報じているのだ。

 ヴィダルの言う「世界最高のクラブの一つ」がユヴェントスなのか、マンチェスター・ユナイテッドなのか、どちらにせよ彼は差し障りの無いように、曖昧な言い回しでインタビュアーの質問に答えた事には違いない。だからこそ、マンチェスター・ユナイテッドへの移籍に前向きであると捉えるのは、あまりに強引ではないかと私は思う。


【補足】ヴィダルのインタビューの最終文を「仮定法」と解釈した場合
 estarが原形動詞であるため、この文が仮定法であると解釈することは正しいと思われる。しかし、注意しなくてはならないのが、主語が「私」ではなく「全ての選手」となっていることだ。
 主語が「私」であるならば、「現在平凡なチームであるユヴェントスの所属している私が、もしもマンチェスター・ユナイテッドのような世界最高クラブの一員になれたら最高だ」という意味合いになるだろう。しかし、今回の主語は「全ての選手」だ。つまり、「一介のサッカー選手であれば、ユヴェントス/マンチェスター・ユナイテッドのような世界最高のクラブの一員になることを望んでおり、私は今満足している/マンチェスター・ユナイテッドに行きたい」の両方の解釈が取れるのだ。
 文学作品でも芸術作品でもないので、このような文法的解釈の検討は恐らく意味をなさないのだろうが、兎にも角にも、ヴィダルのコメントをマンチェスター・ユナイテッドへの移籍の示唆と捉えるのはあまりにも早計なのである。

2014年7月6日日曜日

セリエA新シーズンの注目の若手選手アンドレア・べロッティ

 毎シーズン、「期待の若手」と呼ばれる選手がいる。昨シーズンはサッスオーロのドメニコ・ベラルディとアレッサンドロ・フロレンツィなどになるのだろうか。その期待に応えられた選手はさらなるビッグクラブへ移籍し、トップ代表に招集されるなど、スター選手へと一歩一歩近づいていく。3年前、セリエBで得点王になったインモービレはワールド・カップのメンバーに選出され2試合に出場、今年6月にはドイツの強豪ボルシア・ドルトムントへ1900万ユーロで移籍した。

 2014-2015シーズンの「期待の若手」は誰であるか。
 エラス・ヴェローナから3000万ユーロ前後の高額な移籍金でユヴェントスないしはACミランに移籍するであろうフアン・マヌエル・イトゥルベはその筆頭となる。ACミランとプロ契約を結んだ16歳のFWマストゥールも、定期的に試合に出られるかはまだ分からないが期待してみたい。ACミランで言えば、MFのクリスタンテとサポナーラも注目の選手だ。またユヴェントスが2年前、ブッフォンの後継者として獲得したGKニコラ・レアーリが今シーズン、満を持してセリエAに初挑戦する。先を越された同年代のバルディやペリンに劣らない活躍をできるのか、目を離すことができない。
 そんな中でも私が特に興味関心を持っているのが、パレルモのFWアンドレア・べロッティだ。

 先に言うと、私はまだ彼のプレイを見たことがない。ここに書くこと以外、彼のことは何も知らない。だからこそ、彼のことが気になる。早く彼のプレイを見てみたいという、そんな気持ちを抱いている。
 彼を知ったのは、U21イタリア代表のメンバーを見ていたときだ。インモービレ、デストロ、ボリーニ、ガッビアディーニを輩出した次の世代の選手について知りたいと思い、調べていた。20歳前後の選手が集まっているこの世代の代表には、ベラルディを除けば、すでにセリエAで大活躍をしているような選手がいるわけではない。ただし、大半の選手はビッグクラブに所属している。ユヴェントス、インテル、ミラン、ローマを筆頭に、下部組織やレンタル移籍など何らかの形で彼らにツバが付いている。しかし、その中でもこのベロッティは異質である。
 この観点から、まずは彼の経歴について見てみたい。ベルガモ州ロンバルディ地方に生まれた彼の本格的なキャリアは、その地で二番目の大きなクラブであるアルビノレッフェで始まった。なおこの地方の最大のクラブは、優秀な若手を多く輩出することで有名なアタランタになる。
 2012年3月にプロデビューを果たし、その後は途中出場で定期的にプレイをした。翌2012-2013シーズンはチームのエースへと成長し、レガ・プロ・プリマ・ディヴィジョン、俗に言うセリエC1で14ゴールを取った。この活躍によっていくつかのクラブから関心を集めた彼は、2013-2014シーズンはパレルモへレンタル移籍をした。その前シーズンをセリエAで戦っていたパレルモでは最初はポジションを掴めずにいたが、9月24日に元ミランのMFディ・ジェンナーロに代わり途中出場すると、早速その試合でアシストを記録し、その後は半ばスタメンとなって24試合10ゴールの働きをした。今季2014-2015シーズンからセリエAに復帰するパレルモは、レンタル移籍だった彼を7月からチームへ完全移籍させ、彼と共に新しいシーズンを戦うことに決めた。
 これらの活躍が評価され、各世代のイタリア代表にも招集されている彼だが、現在のU21では4-2-3-1の布陣の下で1トップでプレイしている。

 続いて、彼のプレイ・スタイルについて見て行きたい。今までのことも含めてこれまでは主にWikipediaを参考に見てきたが、まだ芽が出ていない若い選手には日本語版のページなど存在せず、英語版でも上記のような少しの経歴しか載っていない。しかし、イタリア語版のベロッティのページには、その期待がよく分かるほどに紹介されているのだ。
彼はセカンドトップを始めとし、前線のあらゆるポジションでプレイができるFWだ。ベロッティがユース世代でプレイしたアルビノレッフェのテクニカル・コーチ、エミリアーノ・モンドニコは彼について次のように語っている。「最高の選手だ。一目見て、彼の才能に気付いた。パワーもあれば、プレイの質も高い。古典的なストライカーがそうであるように、彼はゴール前でこそ上手く、賢く動くことができる。そう考えると彼はストライカーとしての性格が強いのかもしれないが、彼はウィンガーでもセカンドトップでもプレイができる。その理由は、先に挙げたようなゴール前での巧さに加えて、常にゴールを狙う姿勢にあるのだろう。」それから、U20イタリア代表の監督アルベリゴ・エヴァーニは「彼には二つの仕事ができる。つまり、攻撃での仕事に加えて、チームの最初のDFとして大きな貢献をしてくれるんだ。」と彼を評価した。
以上のWikipediaの紹介を見ると、彼にはFWとしての能力が高いのに加えて、 守備面での貢献度が高いのがよく分かる。アルビノレッフェのモンドニコは「古典的なストライカー」と評したが、この守備面での貢献度を考えるとそうとは言えないかもしれない。



 そしてコリエレ・デッロ・スポルトにちょうど今日、パレルモへの正式な入団に際しての彼のインタビューが掲載された。
私が望んでいたのは自分が重要な役割を担える強いチームであり、パレルモはそれにピッタリだ。今の私には試合に出ることが大事だ。
幼少期のこと
子供の頃からずっとボールを追いかけて育ってきた。学校から帰ればすぐにリュックサックを背負って、サッカーをしに出かけた。ご飯を食べに家に帰ったら、またサッカーをしに行った。試合も沢山見てきた。勉強もちゃんとしたよ。サッカーはいつまでもできるものじゃないと父に言われてきたからね。父は正しかったと思う。サッカー選手を夢見る少年に言いたいこと?自分を信じて、努力をし続けることだね。
僕はアルビノレッフェでキャリアをスタートさせた。アタランタの入団テストには落ちてしまってね。だからこそ父は僕に「お前は今、幸運な立場にいるんだ。お前のようにチャンスに巡りあうことができずに夢を諦めた多くの人がいることを忘れるな。」と言ってくれる。僕はそれを心に留めておくようにしている。ここに来るまでに沢山のつらい思いをした。父がいなければ、僕は今ここにいないだろう。友達が遊んでいる間、僕はキツい練習ををしていたし、泣いたこともあった。それでも家に帰ると父が僕を励ましてくれた。家で食べるシーフードラザニアが美味しかったな。それを一緒に食べていた兄は、今はシェフをやっているよ。もちろん彼もサッカーは大好きだ。
パレルモでの暮らしについて
今はパレルモに住んでいる。故郷のベルガモに比べると、パレルモが危ない街であることは確かだ。でも、ここに住んでいる人たちは素晴らしいよ。僕は今、楽しいんだ。ファンの人たちも面白いね。階段を降りたところで、ファンの人たちが僕の活躍を褒めてくれたりする。それに、実は僕はここで一度もコーヒーにお金を払ったことはないんだ。ベルガモではそうはいかない。両親に「ここにはマフィアがいるんだよ」と冗談で言ったら彼らはすごく心配してしまった。でも、一度来たらそんな心配はいらないことに気付いたと思う。南イタリアは本当に良い所だよ。
20歳でどう一人暮らしをしているか?僕にとっては初めての一人暮らしだけど、洗濯も料理も自分でしているよ。料理については兄にアドバイスをもらっているから、だいぶ上手くなったね。最初の頃は困ることもたくさんあって、両親が助けに来てくれたこともあった。休みの日はテレビゲームをしたり、映画を観たりしている。僕はシャイな人間だから、ずっと家にいるほうが性に合っているんだ。好きな映画や本?映画はアクションとコメディーが好きだね。本は最近はあまり読まないんだ。でもサッカー選手の伝記は好き。特にお気に入りなのがイブラヒモヴィッチとサネッティの本だ。
サッカー選手として
インモービレ、ヴェッラッティ、インシーニェを目標にしたい。彼らは皆、セリエBからトップレベルの選手へと成長した。僕も彼らの後を追わないといけない。僕のアイドル?それはシェフチェンコだ。彼は偉大なストライカーであると同時に、人間としても尊敬できる。
昨年の怪我について?あれは辛かった。でもチームの人たちが支えてくれたよ。イアキーニ監督が僕に電話で、僕をずっと待つと言ってくれたときは嬉しかった。そのお陰でリスクを冒すことなく全快に向けて治療することができた。
僕のプレイがカシラギに似ている?シュートが好きということでは似ているかもしれないけど、それは誰しもが持っている特徴だ。僕は自分が彼に似ているとも思わないし、他の誰かの真似をしようとも思っていない。そうすることが僕にとって良いことだと思っているから。だからこそ、僕は色んなポジションでプレイがしたい。もちろん、子供の頃から攻撃的なポジションが大好きだったけど。
感謝をしたい人と新しいシーズンに向けて
アルビノレッフェでの経験は素晴らしいものだった。今でもベルガモの友達と話したりするためにFacebookを使うし、Twitterでも彼らのことをフォローしているよ。なによりもモンドニコ監督には感謝しないといけない。彼は僕のことをずっと信じてくれた。
僕を評価してくれたパレルモにも感謝したい。お金もかかるし、僕のような選手を獲得するのは大変な仕事だったと思う。でもこのような重要なチームで僕は上手くプレイすることができた。これから僕はセリエAに挑戦する。楽しみで仕方がない。
今はものすごく熱意に溢れている。早く試合をして、セリエAでも良いプレイができることを示したい。パレルモは最高のチームだ。ここには選手だけじゃなくて、「人間」がいる。試合に勝つために重要なのは選手が良い働きをすることだけではない。ベンチからのサポートも欠かせないんだ。だからこそ、このチームは最高だ。

 サッカー選手特有の野心家としての面と、家族とベルガモの風土が生んだであろう謙虚な一面が、彼の言葉から垣間見える。彼はイタリアの超新星となりうるのだろうか。2016年のリオ五輪に向けて調整が始まる中、2014-2015シーズンはこの20歳のFWの活躍に期待してみたい。

2014年7月4日金曜日

イトゥルベの移籍金ってどれくらい凄いの?セリエAの移籍金高額ランキングと 比べてみた

 エラス・ヴェローナ所属の21歳のFWフアン・マヌエル・イトゥルベは、母国アルゼンチンやパラグアイでの経験を持ってFCポルトへ加入、2013-2014シーズンのエラス・ヴェローナでの8ゴール5アシストのパフォーマンスが認められ、今夏の移籍市場の大目玉となった。

 彼に最初に目を付けたユヴェントスは、まず2300万ユーロのオファーを出した。
 ユーヴェのこのオファーに対抗して、フィリッポ・インザーギ新監督の強い意向もあって彼の獲得を画策するミランが2500万ユーロを提示すると、ユーヴェも負けじと2500万ユーロないしは2100万ユーロ+クァッリァレッラorジョヴィンコと金額を上積みし、さらにはイトゥルベ本人との個人間合意を取り付けた。
 カカーの放出を決めて来季の高額な年俸支払いを回避したミランは、個人間合意のハンディキャップっを埋めるためにその分を移籍金に積み、2800万ユーロに提示額を上げた。ユヴェントスもヴチニッチやペルーゾの放出により得た収入を付け足して、オファー金額を2650万ユーロにした。早ければ6月に終わると思われていたイトゥルベ獲得の交渉は思いのほか長引き、それに比例して移籍金の額も少しずつ上がった。7月最初の時点の一部の報道では3000万ユーロを越えたとされていた。
    その後、ユーヴェとの競争に勝てないと判断したACミランがこの競争から撤退し、ユーヴェの独走状態に入ると再び移籍金は下落、2600万+200万ユーロのボーナスで落ち着くことになった。アトレティコ・マドリードの横槍もあったが、彼らの提示金額は2400万ユーロであり、イタリアでのプレイを望むイトゥルベ本人の意向を踏まえれば、ここでユーヴェの2600〜2800万ユーロのオファーを飲むのが、全ての人が幸せになる構図であったため、残すは契約書と公式発表だけという所まで来ていた。
    しかし、突如、ユーヴェはコンテ監督が辞任を表明、空白の新監督の構想が分からない中でイトゥルベを含めた全ての交渉中の選手の移籍が白紙に戻った。その後、ユーヴェはアッレグリ新監督を迎え入れるも時すでに遅し。陰からユーヴェとミランの争いを見ていたローマが3100万ユーロのオファーを提示して、一躍獲得レースのトップに躍り出た。
    そして今日、イトゥルベのローマへの移籍が公式に発表された。ローマがヴェローナに支払ったのは2200万ユーロだが、ボーナスやその他の支出を含めるとその金額は2850万ユーロ。ローマの"人事統括部長"サバティーニの底知れない手腕が発揮された。

 この移籍金がどれほどの額なのか。
 ここで、イタリアのチームからイタリアのチームへ移籍した過去の事例を見てみたい。

イタリア国内移籍金高額ランキング
選手名fromto移籍金
1エルナン・クレスポパルマラツィオ2000年5500万
2ジャンルイージ・ブッフォンパルマユヴェントス2001年5420万
3クリスチアン・ヴィエリラツィオインテル1999年4500万
4マヌエル・ルイ・コスタフィオレンティーナACミラン2001年4200万
5リリアン・テュラムパルマユヴェントス2001年4150万
6パヴェル・ネドヴェドラツィオユヴェントス2001年4120万
7フィリッポ・インザーギユヴェントスACミラン2001年3700万
8エルナン・クレスポラツィオインテル2002年3600万
9ガブリエル・バティストゥータフィオレンティーナASローマ2000年3250万
10中田英寿ASローマパルマ2001年3100万
11アレッサンドロ・ネスタラツィオACミラン2002年3050万
12セバスチャン・ヴェロンパルマラツィオ1999年3000万
13アントニオ・カッサーノバーリASローマ2001年2850万
14エメルソンASローマユヴェントス2004年2800万
15フランチェスコ・トルドフィオレンティーナインテル2001年2650万
16ヴィンチェンツォ・モンテッラサンプドリアASローマ1999年2500万
16フェリペ・メロフィオレンティーナユヴェントス2009年2500万
16アルベルト・ジラルディーノパルマACミラン2005年2500万
16マルシオ・アモローゾウディネーゼパルマ1999年2500万
20ズラタン・イブラヒモヴィッチユヴェントスインテル2006年2480万
(金額の単位はユーロ、Transfermarktを参照)

    イトゥルベはカッサーノと同立の13位に入る。イタリア・サッカーの直近10年の凋落の歴史を物語るように、この上には1999年から2002年の事例しか無い。
 イトゥルベの来シーズンのチームは、紆余曲折を経てローマとなったが、ユヴェントスとミラン、そして獲得を決めたローマは10年来、もしくは15年来の大判振る舞いを、この若く才能のある選手の獲得のためにしたのだ。
(それにしても中田英寿すげえ・・・)