2014年5月21日水曜日

今年の夏は金満クラブの選手がお買い得?

 フィナンシャル・フェア・プレイ(FFP)の規定違反により、マンチェスター・シティーやパリ・サン・ジェルマン(PSG)ら9つのクラブに対し、UEFAがついに制裁処分を下した。それぞれのクラブは、罰金やチャンピオンズ・リーグの登録選手数の制限、そして現在のチーム全体のサラリーを下げるよう勧告されている。特に制裁が大きいのはマンチェスター・シティーとPSG。彼らには暫定6000万ユーロの罰金が科せられた。チームを再編し収支状況などが改善されれば、罰金は2000万ユーロに減額されるため、彼らは今後2年の間にあまりに多すぎるトップ・プレイヤーを整理したいところだ。


 マンチェスター・シティーは昨年に続き今年も、「世界で最も多くの給料を選手には払っているスポーツチーム」となった。スター選手が集まることで有名なニュー・ヨーク・ヤンキースを2位に、レアル・マドリードとバルセロナをそれぞれ4位と5位に抑えた。詳しくその額を見てみると、一週間に102万ユーロを選手の給料だけに使っている(レアル・マドリードは同96万ユーロ、マンチェスター・ユナイテッドは同83万ユーロ、チェルシーは同76万ユーロ)。マンチェスター・シティーの給料などは以下の通り。


選手名
ポジション
出場試合数
得点
アシスト
年齢
年俸
ジョー・ハート
GK
31


27
4.68
コンパニー
CB
28
5
1
28
10.4
ナスタシッチ
CB
11(2)


21
6.3
レスコット
CB
8(2)


31
4.68
デミチェリス
CB、LSB
27
2
1
33
0.7
ミカ・リチャーズ
RSB、CB
2


25
2.75
クリシー
LSB
18(2)


28
5.72
コラロフ
LSB
21(9)
1
7
28
6
サバレタ
LSB、RSB
34(1)
1
6
29
3.38
フェルナンヂーニョ
CMF
29(4)
5
3
29
5.2
ヤヤ・トゥーレ
CMF
35
20
9
31
15
ハヴィ・ガルシア
CMF
14(15)


27
4.3
ヘスス・ナヴァス
SMF
18(12)
4
7
28
2.5
ミルナー
SMF
12(19)
1
4
28
3.8
ナスリ
SMF、OMF
29(5)
7
7
26
8.4
ダヴィド・シウヴァ
SMF、OMF
26(1)
7
9
28
6.76
ネグレド
FW
21(11)
9
3
28
3.9
アグエロ
FW
20(3)
17
6
25
10.4
ヨヴェティッチ
FW
2(11)
3
1
24
6.24
ゼコ
FW
23(8)
16
1
28
8.47
(単位はミリオン・ポンド)

 クラブが公表していないため、これらの年俸は推定の域を出ず、また勝利給や賞金が別途に支給されるために実際の所得は、これを大きく上回ることになる。強豪クラブであれば、一度試合に勝つだけで選手は5万ユーロから10万ユーロの賞金がもらえる。
 他の同国でプレイする選手たちに目を向けてみると、マンチェスター・ユナイテッドのウェイン・ルーニーは1800万ポンドと郡を抜く高額年俸となるが、同チーム所属のマタは780万、今季アーセナルに加入したエジルは728万、チェルシーのランパードは784万、アザールは884万、リヴァプールのジェラードは728万ポンド、スアレスは1000万ポンドの年俸である。
 セリエAではASローマ所属のデ・ロッシの年俸が最も高く650万ユーロ(現在1ユーロ=0.81ポンド)、その他ディエゴ・ミリートが500万、テヴェスやトッティが450万、バロテッリが400万である。650万ユーロであれば、換算すると802万ポンドとなるので、セリエAのトップ・プレイヤーよりもプレミア・リーグの彼らの方が若干高い給与を受け取っていることになる。

 マンチェスター・シティーは、アグエロやヤヤ・トゥーレ、ゼコ、コンパニー、ナスリといったエース級の給料をもらう選手が複数人いることに加え、控えの選手であっても年俸が相当の額に上る。
 また、レアル・マドリードやバルセロナのような伝統的なブランド力のあるチームであれば、スタジアムへの観客動員数や放映権、スポンサー料、ユニフォームなどのグッズの売上など様々な収入が見込める一方で、マンチェスター・シティーの場合は、金儲けの才に溢れた経営者の功績もあり、それらが少ないとは決して言えないが、世界一に見合うようなものでもない。
 実際に、アメリカ経済誌Forbesがまとめたサッカー・チームの価値評価では、マンチェスター・シティーは7番目に位置しており、1位のレアル・マドリードの34億4000万ドルの価値と比べると、およそ4分の1の8億6800万ドルとなる。ニュー・ヨーク・ヤンキースであれば、この数字は25億ドルだ。

 しかし、不思議なことに、あまりマンチェスター・シティーの移籍の噂が浮上しない。
 イタリアのスポーツ紙はナポリからヨヴェティッチに対して移籍金1500万ユーロのオファーが届いていることを報じているが、624万ポンドの年俸を貰いながら2試合でしか先発出場をしなかった彼は残留の意向を述べている。
 実現しそうな移籍を挙げるとすれば、ミルナーのアーセナル行きとヤヤ・トゥーレのバルセロナ復帰くらいだろう。

 もっとも、単純に彼らにFFPのルールを守る気があまりないのかもしれない。
 そもそも、FFPとは、あらゆるクラブを存続させるために財政の健全化を促す制度だ。基本的なルールとして、収入以上の支出をすることを許さず、改善の見られないチームには罰則が適応される。マンチェスター・シティーらは、オーナーのポケットマネーを使い(オーナーが一人ではなくグループ会社であったりもする)、選手を獲得する行為があまりに度が過ぎたために、罰則が適応された。
 金持ちがチームのバックに付くという行為は、もしもその金持ちが気分でそれをやめた場合に大打撃を被る。2年前のマラガが良い例だ。カタールの王室によって買収されたこのチームは、当初はその潤沢な資金によって多くの有名選手を獲得、チャンピオンズ・リーグにも出場を決めたが、突如、経営不振が表面化し、選手の給料が払えなくなってしまった。現在では、UEFAから2017年まで欧州カップ戦出場停止処分が下されている。

 しかし、マンチェスター・シティーからすれば、マラガと一緒にされたくない気持ちはあるだろう。マンチェスター・シティー経営は、金持ちの娯楽というような側面は一切なく、City Football Group社を軸にした世界的サッカー事業のひとつである。実際に、クラブの基礎づくりのために投じた大金を凄まじい勢いで彼らは回収している。さすがは、経済・経営の天才の集団である。行き過ぎた高額年俸の問題を今後2年以内に人員整理を通して改善すれば、ニュー・ヨーク・ヤンキースやレアル・マドリードに肩を並べる世界最大のスポーツクラブが完成する。
 
 PSGも、上手くFFPの抜け道を探している。
 ヴェッラッティやシリグらは年俸が上がる直前、彼らの比類なき才能の片鱗が小さいクラブで少しだけ見え始めた段階で獲得していたため、マンチェスター・シティーほどに莫大な額になってはいないものの、イブラヒモビッチの1500万ユーロ、カヴァーニの1000万ユーロの破格の年俸はチャンピオンズ・リーグなどで恒常的に結果を残さなければ手に負えなくなってしまう。
 なによりも選手を獲得する際に払った金額があまりに膨大で、クラブ経営のみによって3億ユーロを越える支出を回収する手立てがあるとは思えないが、驚くことに彼らは非常な姑息な手段ではあるがそれを持っている。ひとつはその移籍金を分割払いにし、年単位での支出額を抑えること、もうひとつは意味深長な「その他の歳入」(大方、事実上オーナーからの融資だろう)によりクラブ経営を続けていることだ。ボロはそう遠くないうちに出てくるかもしれないが、これでとりあえずFFPの問題を回避しようとしている。
 そして、この期に及んで、PSGは今夏、チェルシーのアザールを5000万ユーロで獲得に乗り出した。

 この2チーム以外にも、ガラタサライやゼニト・サンクトペテルブルクなど、UEFAの制裁の対象になった「金満クラブ」が7チームある。それらに所属する高給取りの何人かは自身の実力に見合う名門クラブへ移籍することになるだろう。ちょうど、サミュエル・エトーがアンジからチェルシーに移籍したように。しかし、その選手がそう多くいるわけではない。ほとんどがチームに残る。

 つまり、FFPの制裁があったからといっても、欧州サッカーの世界が健全化することもなければ、健全なクラブが金満クラブの選手たちを安く買うこともできそうにないのだ。

2014年5月18日日曜日

【随時更新】イタリア代表メンバー

GK
ジャンルイージ・ブッフォン(ユヴェントス)
サルバトーレ・シリグ(パリ・サン・ジェルマン)
マッティア・ペリン(ジェノア)

DF
ジョルジョ・キエッリーニ(ユヴェントス)
アンドレア・バルツァーリ(ユヴェントス)
レオナルド・ボヌッチ(ユヴェントス)
ガブリエル・パレッタ(パルマ)
アンドレア・ラノッキア(インテル)
マッティア・デ・シーリオ(ミラン)
イグニャツィオ・アバーテ(ミラン)
クリスティアン・マッジォ(ナポリ)
マッテオ・ダルミアン(トリノ)
マヌエル・パスクァル(フィオレンティーナ)

MF
アンドレア・ピルロ(ミラン)
ダニエレ・デ・ロッシ(ローマ)
クラウディオ・マルキージオ(ユヴェントス)
リッカルド・モントリーヴォ(ミラン)
チアゴ・モッタ(パリ・サン・ジェルマン)
アルベルト・アクィラーニ(フィオレンティーナ)
マルコ・ヴェッラッティ(パリ・サン・ジェルマン)
アントニオ・カンドレーヴァ(ラツィオ)
マルコ・パローロ(パルマ)
ロムロ(エラス・ヴェローナ)

FW
マリオ・バロテッリ(ミラン)
チーロ・インモービレ(トリノ)
マッティア・デストロ(ローマ)
ジュゼッペ・ロッシ(フィオレンティーナ)
アレッシオ・チェルチ(トリノ)
ロレンツォ・インシーニェ(ナポリ)
アントニオ・カッサーノ(パルマ)

2014年5月16日金曜日

新しい守備のトレンド?4-4の縦ブロック

 もうすぐ終わりを迎えようという2013-14シーズンは、サッカーの転換点であった。
 90年代から栄えた「ポゼッション・サッカー」は、グァルディオラ・バルセロナが実現させた、ときに80%を超えるほどの圧倒的な支配率を誇るサッカーにおいて隆盛を極め、各々のチームはそれにとって代わるサッカー、ないしはプラスアルファを探し始めた。バイエルン・ミュンヘンに移ったグァルディオラは、サイドバックに新しい役割と動きを与えた。上下の動きだけでなく、ピッチの中央へと入り、中からウインガーへとボールを送るプレイだ。戦術大国のイタリアでは、コンテ・ユヴェントスが二人か三人のパサーと四人から六人のフォワードという、いびつな攻撃戦術を編み出し、セリエAで敵無しの状態を作り出した。ASローマも、2012-13シーズンからコンテが取り入れた上記のサッカーを半ば踏襲する形で、「中盤の底」に立つデ・ロッシを木の幹とするなら、そこから多様に枝が広がるようなツリー型の攻撃を展開し、決してタレントが揃っているとは言えないメンバーをもって、結果を残した。

4-4の縦ブロック
 
バルセロナのような超攻撃的なチームに対し、徹底的に守ることによって勝機を見出すには、4枚のDFと5枚のMFで守備を行い、1人のFWが前方で待ち構える布陣が定番であった。「トップ下」の選手がジダンやカカーを最後に希少種となり、クリスティアーノ・ロナウドやメッシ、リベリーなどのようにエース級の選手たちがウィンガーの位置で活躍することが多くなったとき、彼らに二人から三人の駒を当てて挑むためには、4-5のブロックを敷き、サイドバックとサイドMF、加えて近くにいるCMFがその駒の役割を担う必要があったからだ。
 しかし、チャンピオンズ・リーグ準決勝レアル・マドリード対バイエルン・ミュンヘンの試合は、4-5のブロックという定番が新しいブロックに代わる象徴的なものとなった。知将カルロ・アンチェロッティはこの試合、4人のMFと4人のDFを並列に中央へと絞りこませ、ゴールから離れたサイドにおける攻防で負けることは妥協する潔さを持った、賭けに出た。その結果として、見事、ディフェンディング・チャンピオンを完封することに成功した。
 この戦術は、いくつかの戦術を解説した記事や試合レポートにおいて「新しい守り方」として紹介された。確かにトップレベルにおいて、これほど美しく、攻撃的なサッカーを封じ込めた4-4のブロックは、2010年代では存在しなかった。しかし、イタリアのいくつかのチームは、すでに今シーズンの始めから時折、この戦い方を始めていたことに気付く人は少ない。なにしろ、レアル・マドリード自身が、今季チャンピオンズ・リーグのグループ・ステージで、ユヴェントスにこの布陣を敷かれ、その守備の堅さたるやを感じていたのだ。

 今シーズン、最初にこれに挑戦したのは、おそらくプランデッリだ。彼の指揮するイタリア代表は、すでにワールド・カップへの切符を手にしていたため、消化試合となる残りの予選の試合では様々なフォーメーションに挑戦していた。その中の一つ、2013年10月のデンマーク代表戦で用いられたのが、4-4の縦ブロックを駆使した守備陣形だ。右からカンドレーヴァ、モントリーヴォ、チアゴ・モッタ、マルキージオを並べたMFは、サイドの二人の片方が攻撃時にFWの役割をも担うことで4-3-3と併用しながら(時には四人のうちの任意の一人がトップ下に入り4-3-1-2をも併用しながら)、4-4の縦ブロックを形成した。その後の試合ではこの4-4-2の精度に磨きをかけることに集中しているイタリア代表は、直近のスペイン代表戦においても同じ布陣を敷いてきた。

 続いて、アッレグリのACミランがそのイタリア代表対デンマーク代表の試合が行われた直後の2013年10月、サン・シーロでのバルセロナとの一戦で、4-4の縦ブロックを採用した。中盤に3人のボランチの横にビルサとカカーを配し、攻撃されていない方のサイドMFがFWロビーニョのパートナーとなった。バルセロナがゆっくりと攻めるときは、カカーとビルサ両方が下がり、4-5のブロックと併用した。ネスタとチアゴ・シルバを一気に失ってからセンター・バックに問題を抱えているミランは一度、メッシの突破を許し失点をしてしまうのだが、全体としては、世界屈指の攻撃陣を相手に善戦をしていた。

 ユヴェントスがレアル・マドリードを相手に4-4の縦ブロックを採用したキッカケは、「事故」である。試合が始まる段階ではテヴェスとマルキージオがウィングに入った4-3-3の布陣を基に、バルセロナ戦のミランと同じように4-5と4-4を併用した縦ブロックで守っていたのだが、後半が始まって早々にキエッリーニがレッドカードを受けて退場したことで、5人のMFを並べることができなくなってしまった。この段階でユヴェントスは1点のビハインドを背負っており、FWを置かない布陣など考えられなかったからだ。この4-4のブロックは人数が一人少ないことを感じさせないほどによく機能した。理由の一つに、普段からこのチームが4-4のブロックを作っていることが挙げられる。3-5-2が象徴的なユヴェントスだが、守備時は一方のサイドMFがDFとなり、4-4の縦ブロックで守ることがルールとなっている。この試合では、人数が減ったことで攻撃時のダイナミックさを欠いてしまい、逆転することはできなかったが、急遽サイドバックとなったアサモアーにしろ、サイドMFとなったポグバとマルキージオにしろ、守備に関しては普段の動きと大差は無かったのである。


イタリアの4-4ブロック
 アンチェロッティ、プランデッリ、アッレグリ、コンテという四人のイタリア人監督の敷く4-4のブロックには、一昔前のゾーン・プレスに基づいたそれとは決定的に異なる部分がある。新しい4-4のブロックでは、サイドの攻防の勝ち負けをあまり考慮していないのだ。もちろん、自由にボールを中に入れさせはしない。ある程度の妨害はするし、そこでボールを奪おうとする努力も忘れてはいない。ただ、中にいる選手の数を余計に減らしてまで、サイドでの攻防に勝とうという気持ちがあまりないのである。最もそれが顕著なのはコンテ・ユヴェントスで、局面においては二人のFWと、ライン際へ遠征をする一人か二人のサイドの選手を除き、大半の選手がエリア内にいることもある。エリア内に絞ったDF同士の左右の間隔は3メートルほどで、相手FWがボールを持ってその間を通り抜けることは困難を極める。
 守備に従事する選手が多ければ多いほど守備自体が堅くなるのは言うまでもないが、それでも二人の選手をFWとして使い、4-4のブロックを志向するのは、なんともイタリア人らしい答えだろう。イタリア人は、歴史においても常に、遠回りであったり、セオリーに反するように見えることでも、結果的に最も合理的となった道を選んできた。第二次世界大戦では、ドイツや日本よりも二年も早くに負けを認めることで被害を最小限に留め、フィレンツェは蓄財を禁止されていた時代にいち早く銀行業を開始した。大規模な初期投資を将来の収益で回収し、利益を生み出すことを最も精力的にやってきたのは、他でもないイタリア人である。こうした革新的な合理性を見出すイタリア人の特徴はカルチョの世界でも存分に発揮され、サイドバックのオーバーラップやゾーンプレスなどといった、今では当たり前となっている戦術をどこよりも先に採用した。

 4-4の布陣が、4-5の布陣に勝る点は単純に、前にいる選手の数が一人多いことである。2011-12シーズンのチャンピオンズ・リーグでバルセロナに対して4-5のブロックで戦ったミランは、攻撃に転じることがなかなかできず、守備に奔走することになった。それでも2点を奪い、2-0で勝利をすることができたのはエル・シャーラウィーやボアテング、そして守備陣の奮闘とバルセロナの戦術的ミス、「ジャガイモ畑」な芝生がバルセロナのサッカーに頗る不都合であった事など、複数のファクターがミラン側に上手く転がったからであり、これを毎試合つづけ、結果に繋げることは難しい。ある程度の牙はやはり見せなくてはならない。また、昨今はどのチームも、フィード力のあるDFや守備的MFを持っているが、彼らにパスの選択肢を考える時間はできるだけ与えてはならない。しかし、4-5のブロックでは、どうしても彼らへのプレスが後回しになってしまう。だから、高い位置に二人の選手を置き、その問題に対処したい。守備に偏った選手を減らし、攻撃的な選手を増やすことで、攻撃はもちろんのこと、守備においても「一歩遅れる」ということがなくなり、結果的に失点のリスクを軽減することができるのだ。

 イタリア代表は、4-4-2ではない他のフォーメーションを使った試合においても、4-4のブロックを徹底している。ブラジルなどの強豪国に倣って、ひとつの大会をひとつのフォーメーションで戦い抜こうとする日本代表とは対称的に、相手チームに合わせてメンバーやフォーメーションを変えることがイタリアの伝統であり、プランデッリは就任以来、機能しうるほぼ全てのフォーメーションを試してきた。その中でも4バックをとった試合ではいずれも4-4のブロックは絶対であり、ワールド・カップもおそらく4バックを基準にチームを編成していくだろう。
 中盤の構成もピルロとデ・ロッシを軸として、モントリーヴォ、マルキージオ、チアゴ・モッタ、ジャッケリーニ、カンドレーヴァ、ヴェッラッティなどが残りの二つか三つの席を担当していく中で、ピルロ以外は皆サイドの役割を兼任することに苦はないから、イタリア代表の4-4のブロックはよく機能するはずだ。日本代表がグループステージを突破した際には、決勝トーナメント一回戦でイタリア代表と戦う可能性が大いにあり得る。カテナチオの新しい形を堪能するのに、絶好の機会となるかもしれない。

イタリア代表メンバー30人のプロフィール

 5月13日、イタリア代表のワールド・カップのメンバー30人が発表された。6月初にここから23人に絞られることになる。イタリア代表での出場経験のない選手が選出される一方で、ここ数年は常に呼ばれ続けていたアストーリやジャッケリーニ、クリッシートがメンバーから漏れているなど、いわゆる「サプライズ」の多い構成となった。注目されていたベラルディは、選出が見送られた。


GK
・ジャンルイージ・ブッフォン(ユヴェントス)
言わずと知れた、イタリア代表の守護神。ワールド・カップは1998年大会に始まり、5回目の出場となる。2010年、カンナヴァーロが代表を引退して以降はキャプテンを務める。ユヴェントスでは、2012-2013シーズンから、退団したデル・ピエロに代わりキャプテンに。1998年のワールド・カップ以来、EURO2000を除きすべての大会に出場し、今大会で10大会目となるが、これは元ドイツ代表のローター・マテウスに並ぶ世界記録である。

・サルヴァトーレ・シリグ(パリ・サン・ジェルマン/フランス)
2009-2010シーズン、21歳頃からパレルモでレギュラーに定着し、2011年にパリ・サン・ジェルマンに移籍。代表初召集は2010年2月で、2010年ワールド・カップ後はコンスタントに代表に召集されている。長らく代表ではサードGKの立場だったが、ヴィヴィアーノやマルケッティを押しのけ、ここ数年はセカンドGKとして定着した。

・マッティア・ペリン(ジェノア)
まだ21歳と若い選手だが、セリエAは今年で2シーズン目の挑戦となる。セービング能力に定評があり、ブッフォンの後継者に最も近い選手の一人だろう。


DF
・ジョルジョ・キエッリーニ (ユヴェントス)
フィオレンティーナ時代は中田英寿と共にプレイしたおり、中田はキエッリーニの最も尊敬する選手の一人である。もともとは左サイドバックとしてプレイしていたが、2008年頃からはセンターバックにコンバートされた。イタリア代表ではセンターバックと左サイドバックを兼任している。タックルのスキルは世界一と言えるが、熱くなりやすくカードをよくもらってしまう。オーバーラップも彼の魅力のひとつである。

・アンドレア・バルツァーリ(ユヴェントス)
ワールド・カップは2006年大会以来、二回目の出場となる。2010年は召集されなかった。かつては「期待の若手」であったが、その後低迷期に入った。ドイツ・ヴォルフスブルク移籍により才能をふたたび開花させ、2010年1月にユヴェントス移籍。当初は控えのCBとされていたものの、レギュラーを奪取した。カンナヴァーロを彷彿とさせる高い対人スキルと鋭い観察眼は世界最高と言える。

・レオナルド・ボヌッチ(ユヴェントス)
ワールド・カップは2010年に続き二回目の出場となる。インテルのユース出身の選手だが、バーリで注目を浴びたことをきっかけに、1550万ユーロでユヴェントスに移籍した。ユヴェントスではすでに4年間不動のレギュラーを務めているが、年齢はまだ27歳と若い。ロングパスの正確さはイタリア随一であり、ユヴェントスの3バックはボヌッチ抜きには成り立たない。あらゆることを高いレベルでこなすことができる理想的かつ現代的なセンターバックだ。

・ガブリエル・パレッタ(パルマ)
アルゼンチン出身のイタリア人、リヴァプールやボカ・ジュニオルズでのプレイ経験もある。今年28歳となる選手だが、イタリア代表は2014年3月に初招集となった遅咲きの選手。今夏、ユヴェントスへの移籍が噂されている。対人の守備能力が高く、ロングフィードもこなす大型DFだ。

・アンドレア・ラノッキア(インテル)
2009-2010シーズン、バーリでのラノッキア・ボヌッチのセンターバックは、ネスタ・カンナヴァーロのそれと比較され、高い評価を受けた。しかしその後、負傷離脱を機に、相方のボヌッチが代表に召集されユヴェントスへの移籍も果たすなどスター選手への階段を登っていく一方で、ラノッキアは後れを取っていた。2010年11月にイタリア代表にも召集され、2011年には名門インテルに移籍をしたたが、ミスの多さを懸念され、代表でのレギュラーの確保には至っていない。196cmの高身長を武器にプレイし、タックルの技術も高い。

・マッティア・デ・シーリオ(ACミラン)
この21歳の若手DFは、所属クラブとポジションを同じくするパオロ・マルディーニとよく比較される。クラブでは攻守に渡り比較的に安定したパフォーマンスを披露するも、代表でのプレイはいまだ安定しているとは言いがたい。代表初招集は2013年3月で、昨年行われたコンフェデレーションズカップにも出場した。今シーズンは怪我に悩まされた。

・イグニャツィオ・アバーテ(ACミラン)
U-21イタリア代表ではウィングFWとしてプレイ、ACミランでもかつてはMFでの出場が多かったが、2009-2010シーズン頃からサイドバックにコンバートされ、次第にイタリア代表の常連となった。スピードを売りにした攻撃的な能力を評価されているものの、クロスの精度は低い。EURO2012やコンフェデレーションズカップでもイタリア代表に召集されている。

・クリスチャン・マッジォ(ナポリ)
32歳のベテランで、かつては現インテル監督マッツァーリの下、サイドMFとしてプレイしていた。2008年の代表初召集後はメンバーに定着し、2010年のワールド・カップにも出場した。攻撃に関してはイタリアのサイドバックでもダントツの実力を持つが、守備においてはミスが目立つ。今季からベニテス新監督となったナポリでサイドバックに起用されたため、かつての弱点がいくらかでも改善されていればイタリア代表にとっては大きな力になるだろう。

・マッテオ・ダルミアン(トリノ)
ACミラン出身、24歳の若いサイドバックで、2011年からトリノでプレイしている。イタリア代表での出場経験は無く、彼の召集は今回の最大のサプライズと言える。戦術理解度が高く、ミスも少ない。サイドバックとしては、デ・シーリオ同様に、左右両方でプレイでき、またセンターバックとしても起用が可能。今回のメンバーの中では最も使い勝手の良いDFだろう。
今季はセリエAでウイングバック及びサイドバックとして28試合、サイドMFとして3試合、センターバックとして5試合、合計36試合に出場し、3アシストの活躍をした。

・マヌエル・パスクアル(フィオレンティーナ)
今年33歳のベテラン選手。17~18歳でプロ契約をする選手が多い中、22歳までの長いアマチュア時代を過ごした。プロ入り後はすぐに左利きのサイドバックとして高く評価され、リッピ監督の下、2006年に24歳でイタリア代表にデビューした。しかしその後しばらくは代表から遠ざかり、ふたたび召集されるのは2013年のこと。プランデッリがフィオレンティーナで指揮をとっていた頃に最も信頼していた左サイドバックである。攻撃的な技術が評価されており、左足から上げるクロスの精度の高さはイタリア人の中で最も高いと言える。


MF
・アンドレア・ピルロ(ユヴェントス)
「レジスタ」の代名詞とされる彼の類まれなるボール・コントロールは説明するまでもないだろう。ワールド・カップは2006年、2010年に続き三回目となる。2010年大会は怪我で離脱し、決勝トーナメントから出場する予定だったが、イタリアが窮地に立たされると急遽グループステージ第三戦で途中出場した。ACミラン時代の弱点だった怪我の多さも、ユヴェントス移籍後はほぼ解消された。ユヴェントスのセリエA三連覇を最も支えた選手である。

・ダニエレ・デ・ロッシ(ローマ)
ユース時代からローマ一筋のロマニスタ。その風貌から「グラディエイター(剣闘士)」と称される。MFとして必要な全てのスキルが世界トップクラスであり、彼を世界最高のMFと評価する人も多い。EURO2012ではセンターバックとしてもプレイしたが、彼の攻撃力を活かしたかったプランデッリは、3バックの布陣がよく機能していたにも関わらず、その後デ・ロッシをMFに置く4バックの布陣に戻した。ワールド・カップは2006年、2010年に続き三回目。2006年大会ではグループステージのアメリカ戦で肘打ちをしたことでレッドカードをもらい、4試合の出場停止処分となる。今シーズンも、試合中の悪質なプレイが原因で代表招集が見送られることがあった。良くも悪くも、熱くなりやすい選手だ。

・クラウディオ・マルキージオ(ユヴェントス)
ユヴェントス・ファンの父親の下に生まれ、7歳からユヴェントスに所属する生粋のユヴェンティーノ。難しいプレイも簡単にこなしてしまうボール・テクニックは、ピルロにも劣らない。MFの全てのポジションを経験した高い万能性を持ち、今季はフランス代表のポグバの台頭により一時は2008年以来はじめてレギュラーの座を奪われたが、その後中盤の底としての才能をも開花させた。2009年の初招集から、怪我を除けば、一度も漏れることなく常にイタリア代表に呼ばれている。

・リッカルド・モントリーヴォ(ACミラン)
ボール・テクニックが高く、かつてはピルロの後継者と目されていた。しかし、他の多くの後継者候補とは異なり、モントリーヴォはピルロにはない技術を磨きながら成長した。フィオレンティーナのキャプテンとなった後に2012年、ACミランに移籍。アンブロジーニやガットゥーゾらが退団した今シーズンからはミランでもキャプテンを務めるようになる。代表には2007年から召集されており、EURO2008では予備メンバーに選ばれた。彼もピルロ、デ・ロッシ、マルキージオと同様に、プランデッリ監督が常に頼りにしてきた選手であり、2010年からは全ての大会に出場している。

・チアゴ・モッタ(パリ・サン・ジェルマン/フランス)
彼が最初に注目されたのはバルセロナでキャリアをスタートさせた20歳頃のときである。チャビ・エルナンデスやダービッツ、デコといった選手たちの後ろ、中盤の底でプレイした。その後アトレティコ・マドリッドを経てインテルに移籍し、チャンピオンズ・リーグ優勝に貢献した。かつてはU-23のブラジル代表でプレイしていたものの、フル代表はイタリアを選択した。2011年の初招集から代表に定着し、EURO2012にも出場。一時は代表のメンバーから外れるものの、今季から復帰した。バルセロナ以来、クラブ・チームでは中盤の底で守備的な役割をしているが、イタリア代表ではトップ下でプレイすることが多い。

・アルベルト・アクィラーニ(フィオレンティーナ)
ユース時代を過ごしたローマで才能を開花させた後、リヴァプールでは不遇のシーズンを過ごすが、ユヴェントスに加入後は再び高く評価される。ACミランを経てフィオレンティーナに移籍し、モントリーヴォの穴を埋めた。プレイは素晴らしいのに怪我をしやすいという意味で「スワロフスキー」というあだ名が付けられているものの、今シーズンは一年を通して高いパフォーマンスを披露し続けた。

・マルコ・ヴェッラッティ(パリ・サン・ジェルマン/フランス)
2011-2012シーズンのセリエBにおいて、ペスカーラのセリエA昇格に貢献した。彼もまた、モントリーヴォらと同じように「ピルロの後継者」と呼ばれた選手の一人であり、ボールコントロールやパスの能力が高い。2012年夏、ユヴェントスへの移籍が目前となっていたが、交渉が難航している間に、パリ・サン・ジェルマンが乗り出し、1200万ユーロで彼を獲得した。一部リーグでのプレイ経験のない選手としては異例の値段だ。クラブでは、世界的に高い評価をされる選手が多く所属する中、若干21歳ながらポジションを確保し、破格の移籍金に充分に見合う働きをしている。EURO2012の予備メンバーに選出されていたが、本戦に進むことはできず、イタリア代表デビューは2013年2月のオランダ戦まで待つことになった。それ以降は定期的に召集されている。

・アントニオ・カンドレーヴァ(ラツィオ)
リヴォルノで才能を開花させ2009年、22歳でイタリア代表デビューを果たした。2010年冬にはザッケローニ監督が指揮を務めるユヴェントスにレンタル移籍で加入した。しかし、その後2年間は不遇のシーズンを過ごし、イタリア代表からも遠ざかった。2012年、ラツィオへの移籍をきっかけに再ブレイク、かつての弱点であったスタミナの不足やミスの多さは克服され、万能型のMFへと成長した。様々なポジションでプレイすることができるが、本職はサイドMFである。

・マルコ・パローロ(パルマ)
今回召集されたパレッタやカッサーノらと共に、今季のパルマの躍進を支えた選手の一人。チェゼーナに所属していた2011年にイタリア代表でデビューし、EURO2012への出場も期待されていたが、それは見送られた。その後しばらく代表からは遠ざかっていたものの、2014年3月に復帰し、今回メンバーに選ばれた。イタリア代表に召集されている他のMFと同様に、万能型の選手であり、中盤からのダイナミックなシュートにが評価されている。今シーズンは35試合に出場し、8ゴールをマークしている。

・ロムロ(エラス/ヴェローナ)
ブラジル出身の26歳の選手で、ポジションを同じくする同郷のレジェンド選手カフーとよく比較され、その攻撃力は大いに期待されている。ダルミアンと同じくイタリア代表での出場経験はないが、今季のエラス・ヴェローナでの活躍(セリエA26試合6ゴール8アシスト)が召集に繋がった。今季は主に、4-3-3のMFとしてプレイした。


FW
・マリオ・バロテッリ(ACミラン)
15歳でプロデビュー、17歳頃からセリエA・インテルでプレイしていた。その後マンチェスター・シティーを経て、現在の所属チームのACミランへ。怪物的な破壊力を持ち、ピッチのどこからでもシュートを決めることが出来る。キング・ペレをして「世界最高のストライカー」と評されるが、精神的な未熟さは隠しきれず、レッドカードを受けて退場することも多い。

・チーロ・インモービレ(トリノ)
ユヴェントス・ユース出身の選手で、現在も保有権の半分はユヴェントスが所持している。2011-2012シーズンに出場機会を得るためにセリエBのペスカーラに移籍し、28ゴールで得点王に輝く。次のシーズンは不調が続いたが、今シーズンから調子を取り戻し、セリエAの得点ランキングで単独首位に立っている。今夏のボルシア・ドルトムントへの移籍が注目される。守備をも献身的に行うFWで、FWとして必要なあらゆる能力を高いレベルに持つ。

・マッティア・デストロ(ローマ)
ユース時代をインテルで過ごした後、アスコーリやジェノアを渡り歩き、2012年、1150万ユーロでローマへ移籍した。インモービレと同年齢の選手で、すべての年代のイタリア代表でプレイしてきた。今シーズンは負傷明けからゴールを量産し、たった14試合の出場ながら得点ランキングの上位に入り込んでいる。インモービレと同様に、あらゆる能力に長けたストライカーである。

・ジュゼッペ・ロッシ(フィオレンティーナ)
パルマ・ユース出身、10代の頃から「将来のイタリア代表を背負うFW」と高い評価を受けていた。マンチェスター・ユナイテッドを経てビジャレアルで才能を開花させると、2009年にイタリア代表に初召集される。2010年ワールド・カップのときは予備メンバーに選ばれるも、本戦に進むことはできず。その後は靭帯の怪我に悩まされ、ほぼ2シーズンを棒にふるった。リハビリ中の2013年冬にフィオレンティーナに加入し、2012-2013シーズンの終盤で復帰した。今シーズンは開幕からゴールを量産、かつての輝きを取り戻し、代表にも再び呼ばれるようになった。しかし、2014年最初の試合でまたも長期離脱を余儀なくされる。一時は引退の噂も囁かれたが、5月に入り復帰すると、最初の試合で2ゴールをマークした。ストライカーとしても、セカンドトップとしてもプレイでき、得点力の高さはイタリア代表の中でも一番かもしれない。

・アレッシオ・チェルチ(トリノ)
ローマ出身のセコンダプンタで、今季はインモービレと共にトリノの強力な攻撃を支えた。スピーディーなドリブルが売りの選手で、右サイドから中に入り込んでの左足のキックは、精度・威力ともに抜群だ。2013年3月にイタリア代表に初召集され、コンフェデレーションズカップのメンバーにも選ばれた。ミランへの移籍が噂される。

・ロレンツォ・インシーニェ(ナポリ)
ナポリ・ユース出身の彼は、ナポリ・ファンから最も愛される選手だ。2011-2012シーズンはペスカーラで過ごし、ヴェッラッティ、インシーニェと共にセリエA昇格に大きく貢献した。昨年のU-21欧州選手権では10番を務める。ポジションはセカンドトップで、おそらく今回のメンバーの中で最もドリブルの上手い選手だろう。2013年10月のイタリア代表デビュー戦でもその実力の高さを発揮した。ナポリのベニテス監督も、イタリア代表へ強く推薦している。

・アントニオ・カッサーノ(パルマ)
ローマ、レアル・マドリッド、ミラン、インテルと数多くのクラブを渡り歩いた。「悪童」の代名詞とされるほどにかつては精神的な未熟さが目立ったが、2009年頃からはまじめにサッカーに取り組むようになる。2010年ワールド・カップへの召集も大きく期待されたが、当時の監督リッピとの確執があり、メンバーから外れた。スピードやボディー・バランス、スタミナなどは持ちあわせてはいないものの、卓越したボール・テクニックを持って敵を圧倒する。EURO2012以降は代表から遠ざかっていたものの、今季のパルマでの活躍が評価され、代表にふたたび召集された。


今回落選した主な選手
GK ミランテ(サポートメンバーとして帯同)、マルケッティ
DF アストーリ、クリッシート
MF ジャッケリーニ、フロレンツィ、ポーリ
FW ジラルディーノ、オスヴァルド、ディアマンティ、エル・シャーラウィー、ベラルディ