2014年6月27日金曜日

イタリア代表の崩壊、ロッカールームで何があった?

 バロテッリは更生したと思われていた。以前のようにトラブルを引き起こすことはEURO2012決勝戦における後悔からなくなり、チームメイトから愛されるバロテッリになっていた。しかし、ウルグアイ戦のハーフタイム、チームは崩壊した。
 前半に危険なタックルによってイエローカードをもらったバロテッリにプランデッリ監督はハーフタイム、「態度を改めろ。そうしないなら10分で交代させる。」と告げた。しかし、バロテッリは「俺を信じろ、束縛をするな」と反論、プランデッリは「黙れ」と一喝して後半の最初から彼に代えてパローロを投入することに決めた。
 それでも悪態をつき続けるバロテッリに対し、遂に堪忍袋の緒が切れた選手がいた。この日初めて先発出場を果たしたDFレオナルド・ボヌッチだ。ボヌッチは「馬鹿野郎!黙ってここから出て行け!」と
、バロテッリを文字通りロッカールームからつまみ出した。彼に続き、デ・ロッシがさらに友好的でない口調でバロテッリを叱責したという。
 このハーフタイムにはもうひとつの物語がある。ロッカールームの出来事を私たちは話を聞くまで、少したりとも想像しなかっただろう。ウルグアイ戦の後半のアッズーリは、いつものアッズーリそのものだったからだ。グチャグチャになったロッカールームをキャプテンのブッフォンが収集していた。選手たちが最悪のムードでピッチに戻ろうとした直前、ブッフォンは「このままではダメだ。目を覚ますぞ。」とチームを鼓舞した。

 0-1でウルグアイに敗れ、イタリア代表のワールド・カップが終わった。この大会を最後に代表引退を表明していたピルロが、試合後のロッカールームで挨拶をすることになった。しかし、ここで、定例のドーピング検査の対象がピルロになり、彼は2時間ほどロッカールームに戻ることができなかった。選手たちは、それぞれの思いを胸に秘めながら、12年間、112試合に渡りアッズーリを引っ張ってきた男の帰りを待っていた。しかし、バロテッリはロッカールームを出て、バスの中で一人、音楽を聴き始めた。

 そのとき、ついにキャプテンのブッフォンまでもが愛想を尽かせた。
前に出て戦うのはいつもベテランだ。もっと彼らをリスペクトしなくてはならない。ピッチで必要なのは、「やる」ことであり、「やれるかも」や「やるはず」では不十分だ。誰がいて、誰がいなかったかは見ての通りだろう

 また、試合後のプランデッリのコメントもある。
バロテッリはいつ熱くなり、いつ冷静になるのか分らない。彼はすでにイエローカードをもらっており、10人で戦うことは避けたかったので交代した。しかしそうした采配によってチームは負けた。私は責任をとって辞職する。

 その後、イタリアメディアがこれを受けて反バロテッリ色が強くなり、世論もそちらへ傾くと、バロテッリからもコメントが出された。
今回は自分だけの責任にはさせない。マリオ・バロテッリは代表のためにすべてを捧げたからだ。気持ちの面では何も間違えなかった。だから他の言い訳を探した方がいい。私は自分が国のために全力を尽くしたことを誇りに思っている。


 こうして、イタリア代表はブラジルを離れた。イタリアの記者たちは、空港で彼らを待ち受けた。コメントをしたのはブッフォンとピルロ、アルベルティーニだ。当の本人、バロテッリはヘッドホンをつけたまま黒いバンへ移動していった。
ブッフォン「バロテッリについて?サッカーの話しかしない。僕たちは醜態を晒してしまった。」
ピルロ「バロテッリが今後アッズーリに呼ばれるか?それは僕にはわからないよ。」
アルベルティーニ/イタリア・サッカー協会副会長「新しいイタリア代表にバロテッリがいるかどうかは分からない。彼が価値のある選手であれば呼ばれるし、そうでなければ別の選手が呼ばれるだけだ。しかし、今回の敗退の責任がバロテッリだけにあるというのは間違っている。」

 イタリア代表一行がリオ・デ・ジャネイロからマルペンサ国際空港に着くまでの間に、和解に向けた一つの動きがあったことを、同乗していたジャーナリストがスクープしている。バロテッリは飛行機の中で、初めは他の選手たちと同じ席に座ることをせず、一人離れてフィアンセと共にいた。だが、その後プランデッリの方へ出向き、謝罪をしたという。プランデッリが「反省をしたか?」と尋ねると、バロテッリは「はい。私が間違っていました。」と返答した。
 ただし、監督とは和解したものの、チームメイトとの亀裂はまだ解消されていない。帰りの飛行機の中でバロテッリが選手たちと話すことは一度もなく、マルペンサ国際空港で他の選手たちが皆、飛行機からバスに乗り換えた一方で、バロテッリはフィアンセと共に別に用意されていたミニバンへ乗り込んだ。


 現在、イタリアの世論は大方、反バロテッリに傾いている。アーセナルへの移籍が噂されているが、バロテッリがイタリアに失望してしまえば、ミラノを離れてロンドンへ行くこともあるかもしれない。尤も、アーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督は今回の一連の報道がされていく中でバロテッリへの関心を完全否定した。
 バロテッリの未来はどうなっていくのか。まずはガッリアーニACミランCEOを始めとする自分の味方に対して素直にならなくてはならない。また、アッズーリのチームメイトに対する謝罪も必要だろう。
 特にブッフォンとボヌッチだ。実はイタリア代表は、もう一人の悪童が問題を起こしていた。カッサーノは宿舎の食堂で、唐突に怒鳴り、自身の目の前にあったグラスを割ったという。騒然となったその場所を収めたのがブッフォンであった。ブッフォンがどれほどチームの平穏を保とうと必死になっていたかをチームメイトであれば知っていたはずだ。
 また、ボヌッチはいつもバロテッリの味方だった。EURO2012のアイルランド戦、ゴールを決めたバロテッリはゴールパフォーマンスの途中、挑発的な態度で何かを叫ぼうとした。何を言おうとしたのかは不明だが、場合によってはレッドカードをもらうかもしれないこの行為を止めたのがボヌッチだった。彼はバロテッリの口を塞ぎ、冷静に、しかし真剣に彼を諭した。それから2年、ついにボヌッチまでもがバロテッリをロッカールームから追い出そうとしたのだ。

 イタリア代表の新監督は、マンチーニになるだろうとの予想が最も強い。マンチーニと言えば、マンチェスター・シティを指揮していた時代、バロテッリの面倒をよく見た監督だ。マンチーニなくして、今のバロテッリは無かったはずである。彼なら、おそらく新しいチームでもバロテッリを使いたいと考えるだろう。それを実現させるためには、まずはチームメイトとのわだかまりを解消することが急務である。

2014年6月26日木曜日

ピルロのアッズーリ最後の試合と彼の遺した財産

 ワールド・カップ第三戦、イタリアはウルグアイに0-1で敗れ、二大会連続のグループリーグ敗退という結果に終わった。この大会を最後に代表引退を表明していたピルロの、最後の試合となった。

 この試合の細かい部分を語る前に、マルキージオのレッドカードとスアレスの噛み付き行為には触れておかなくてはならないだろう。
 後半15分頃、マルキージオが相手選手に足の裏でタックルをしたことでレッドカードを受けて退場処分となった。ブッフォンやキエッリーニを始め、イタリア代表の選手たちはすぐに審判のもとに駆け寄り抗議をしたが、この判定は覆らなかった。
 確かにマルキージオは、別に相手を傷つけるためにあのプレイをしたわけではない。ルーズボールを自分のものにしようとする中での偶発的な事故であったのは明白だ。しかし、前半に一度、相手の顔の付近まで足を高く上げたマルキージオは、その時点で審判から目を付けられていた。その後に、審判のすぐ近くで起きたあのプレイは、マルキージオという選手は相手に乱暴な行為をするのではないかという審判の疑いを確信に変えるのに充分過ぎた。マルキージオのことを普段から知っている人であれば、彼がそんな選手ではないことは百も承知だが、それも一種の偏見であり、中立公正を貫かなくてはならない審判はそれらを捨てる必要がある。マルキージオのレッドカードに関して、一概に審判を責めることはできないのだ。
 スアレスのプレイについても、審判の裁量を越えているところがある。それは、ボールとは全く関係ないところで行われた。審判は試合の流れの中で当然ボールの周りを注視しているのだから、スアレスとキエッリーニの争いを感知することは難しい。キエッリーニの首元にある歯型は、スアレスの噛み付き行為の証拠となりうるが、目視していないプレイの正当不当を審判することがまかり通れば、例えば試合前に首元に歯型を付けておいた上で、佳境に入ったときに相手のイヤな選手を退場に追いやる行為もできてしまう。スアレスのこの卑劣で最も愚かな行動は、FIFAの調査結果をもとにして後日裁かれ、それに応じた処分が下されるはずだ。サッカーというスポーツの公平性を保つためには、これ以上のことは現状できないのである。

 それでは、試合の方を見てみよう。
 4-1-4-1という今大会の基本布陣が二試合目にしてコスタリカに敗れたことを受けてか、プランデッリはチームの主軸を担うメンバーの多くが所属するユヴェントスを模したフォーメーションで、この大一番に挑むことにした。ブッフォン、バルツァーリ、ボヌッチ、キエッリーニ、ピルロ、マルキージオと、イタリア代表に招集されたユヴェントスの選手たちは全員が普段と同じポジションでプレイし、それ以外のポジションを他の選手たちで補った。
 しかし、イタリア人屈指の戦術家プランデッリが、コンテの編み出したこの戦い方をそのまま複写することはなかった。形の上ではユヴェントスだが、その内実はプランデッリ主義が行き通っており、柔軟な中盤構成と4-4のブロックはこの布陣の中でも根強く残り、徹底されていた。その違いを象徴し、またこの試合で最も輝いた選手がマルコ・ヴェッラッティだ。
 ヴェッラッティは、ユヴェントスではアルトゥーロ・ヴィダルが担当する右寄りのCMFでプレイした。豊富な運動量を持ってピッチのあらゆるところへと顔を出し、攻守において最大限の貢献をする重要なポジションだ。しかし、「ピルロの後継者」に最も相応しいと評されるヴェッラッティがこの仕事をできないことは、彼のプレイを少しでも見たことのある人であれば、誰しもが知るところ。プランデッリは当然、彼をヴィダルの劣化版コピーにはさせなかった。
 インコントリスタ(相手の攻撃を潰す選手)ではなく、レジスタ(攻撃を組み立てる司令塔)として出場したヴェッラッティはあらゆる位置からボールを持ち運び、パスを送り、数字の上ではピルロ以上の働きをした。95%のパス成功率と5回のドリブル突破はチームトップである。
 彼がピルロと共に試合に出るのはワールド・カップの強化試合ルクセンブルク戦、ワールド・カップ初戦のイングランド戦、そして今回で三回目だ。ルクセンブルク戦では1試合に20本もピルロのパスを出し、完全に隣にいる偉大なレジスタに頼りっきりであったが、今試合ではピルロを自身の展開の選択肢の一つとして数え、自分から積極的に攻撃を組み立てるようになった。その証が、先ほどの数字だ。ピルロの隣でプレイをすることによって、彼はピルロの技術の多くを吸収し、子が親から自立するのと同じく、自分自身の判断で大きな責任と揺るぎない自信の込めたパスを前線に送った。統計に基づく採点によれば、ヴェッラッティはこの試合におけるチーム内MoMになった。

 ヴェッラッティの他にも、マッローネ、ファウスト・ロッシ、カタルディ、ベナッシ、クリスタンテと、将来を有望視されるMFはまだまだたくさんいる。イタリアが世界王者に導いた頃に10代前半から半ばだった彼らは、自身のプレイ・スタイルやサッカー選手としての基盤が固まり、大きく成長するその年に、ピルロの活躍を見ていた。インテル・ミラノでかつて大きな挫折を味わった彼がスーパースターへの階段を登っていくのをテレビの向こう側で見守り、影響を受けた。そうして、多くの技術の高い選手がMFとしてサッカーのいろはをピルロに憧れながら覚えていった。
 ピルロの遺した財産はあまりにも偉大である。ワールド・カップの優勝や欧州選手権の準優勝といったトロフィーだけでなく、イタリア・サッカーの指針を彼が決めていった。今後のイタリア代表がどういった戦い方をするのかは、彼ら「ピルロの子供たち」を見れば、ぼんやりとわかってくる。
 そして、ピルロはまだ、現役を引退するわけではない。ユヴェントスとの契約はあと2年ある。ユヴェントスに勝利をもたらし続け、マルキージオやボヌッチ、その他多くの若いイタリア人に本当の「勝者のメンタリティ」を植え付ける仕事が残っている。イタリア代表が復活するためには、やはりピルロの力が必要なのである。

2014年6月24日火曜日

2022年ワールド・カップの開催地がカタールでなくなるとヨーロッパの移籍市 場 は大荒れに

 ブラジルでワールド・カップが盛り上がる最中、2022年のワールド・カップの開催国が変更される可能性が出てきている。開催国カタールでは、その過酷な暑さ・生活環境などが原因でスタジアム建設やインフラ整備で死者が続出しており、6月3日発売の『Newsweek日本版』の記事を参考にすると、すでに1200人が死亡、2022年までにその数は4000人に上るという。
 今大会の後に提出される調査報告書を持って、カタール大会開催の是非が決まる。代わりの開催国の候補はアメリカ・カナダ(同時開催)と、2019年ラグビーW杯と2020年東京五輪で開催環境が保証されている日本だ。

 カタールでワールド・カップが行われなかった場合、ヨーロッパのサッカーに、特にセリエAとリーグ・アンには大きな影響を来たすであろう出来事が起きるかもしれない。新興ビッグクラブ、パリ・サン・ジェルマン(PSG)の破産だ。なぜか。2013年にアメリカ経済誌『Forbes』に掲載された記事を見て頂きたい。
2013年7月21日Forbes記事
(以下和訳一部引用)
パリ・サン・ジェルマンは湯水の如く金を流し、選手を手に入れてきた。ちょうど今週、1億5000万ドルを使い、エディソン・カヴァーニ、ルーカス・ディーニェ、マルキーニョスの3人の選手を獲得したところだ。
これにより、2011年からの二年間でのPSGが選手の獲得に使った金額が5億ドルに及ぶことになった。2011年とは、カタール観光庁(Qatar Tourism Authority)が1億3500万ドルでこのクラブを購入した年である。 
QTAによるこの事業は、1億4200万ドルの投資を皮切りに始まった。最初のシーズンでリールがリーグ・アンを制覇すると、優勝をするためにはまだ充分ではないと知った彼らは翌年、さらに2億ドルをクラブの補強に使った。そして遂にその野望を果たし、チャンピオンズ・リーグにおいてもベスト8の好成績を修めた。
1970年に設立されたPSGは、今までほぼ全ての年を赤字で終えている。QTAが経営に乗り出す前年の2010年は、-3700万ドルの赤字を記録した。となると、上記のような近年のQTA主導の経営によって、その赤字はより一層拡大しているのではないだろうか。
しかし、多くの人が驚くであろうが、QTAが登場してから2012年6月までのおよそ1年間で、その赤字分はたったの-700万ドルになった。
その秘密のひとつは次のとおりである。その年に契約した選手の移籍金は、契約年数に応じて分割払いとされており、つまり1億5000万ドルになるはずの支出は、4年契約を主とする交渉締結によって、一年当たりに換算すればその4分の1の3750万ドルに抑えられていた。しかし、そうは言えど、前年の-3700万ドルから3000万ドルも赤字を減らしたことは、これでは説明ができない。 
給与支払い額は9100万ドルから1億5300万ドルと、その一年の間に6200万ドルも上がっており、全体の支出においても1億2700万ドル以上増加した。要するに、前年の赤字(-3700万ドル)を実際の成果(-700万ドル)にまで減らすには、一年で1億6000万ドル以上の歳入がないと計算が合わないのだが、この歳入はあまりにも大きい。
かつてここまでの爆発的な歳入の増加に成功したクラブなど存在しない。 
では、2011年から2012年にかけて、具体的にどのような歳入があったのだろうか。
・広告収入―前年比1800万ドル低下
・放映権―同270万ドル増加
・入場料―同900万ドル増加
クラブの基本収入となるこの三大要素においては、1億6000万ドルの増収どころではなく、むしろ630万ドル、歳入を減らしている。  
PSGの歳入に大きな影響をもたらしたのは、一般的なサッカー・クラブとしての活動を通してのものではないということだ。
2012年のPSGの経営報告を見てみると、「その他の歳入」が1億6000万ドル(歳入全体の50%)に及んでおり、これはつまり、オーナーの資金から賄われた分だ。
QTAからPSGへと流れたこの奇妙なお金、「その他の歳入」は2012年後半には、4年で9億ドル相当に及ぶ金額になると報告された。
サッカーの歴史上、これは最も大きな金額であり、さらに奇妙なことに、これほどまでに巨額を投じたQTAには見返りがほとんどない。彼らはネーミング・ライツも持たなければ、ユニフォームに名前も出さない。PSGが巨額の融資の見返りに彼らにしてあげられることと言えば、カタールへの旅行者増加を促進することのみであった。

 以上の記事から分かる通り、PSGはその経営の大部分をカタール観光庁に頼っている。PSGへの投資によるカタール観光庁の見返りは、2022年ワールド・カップを見越した「サッカー好き観光客の増加」であり、その投資金の元手はカタール政府の国家予算だ。
 2022年ワールド・カップがカタールで開かれなくなれば、カタール観光庁がPSGに融資する理由がなくなる。場合によっては突然、融資を打ち切ることになるかもしれない。PSGの現在の支出額はカタール観光庁の融資なしには賄うことができない。

 UEFAはこうしたリスクを避けるために、借金をせずに経営を行う「ファイナルシャル・フェア・プレイ」をクラブに求めてきた。そして再三の警告を無視し、経営改善に努めなかったPSGにはマンチェスター・シティと共に最高レベルの経済制裁が課せられており、その内容は6000万ユーロの罰金とチャンピオンズ・リーグの登録選手数制限である。
 経営破綻をしたクラブに対しては通例、下部リーグへの降格が言い渡され、また負債を少しでも返済するためにほぼ全ての選手の放出を余儀なくされる。PSGの選手はその多くがかつてセリエAで活躍していた選手だ。彼らが一斉に破格の安さで移籍するような事態になれば、ヨーロッパ、特にセリエAの移籍マーケットは大荒れするだろう。

 確かに、これほど大きな事件が起きるとはさすがに考えづらいが、PSGにはやはり経営を見直す姿勢が要求される。

2014年6月22日日曜日

イタリア代表の23人とプロフィール

GK
1.ジャンルイージ・ブッフォン(ユヴェントス)「スーパーマン」
言わずと知れた、イタリア代表の守護神。ワールド・カップは1998年大会から、5回目の出場となる。2010年、カンナヴァーロが代表を引退して以降はキャプテンを務める。イタリア代表の出場試合数最多記録保持者。ユヴェントスでは、2012-2013シーズンからデル・ピエロに代わりキャプテンに就任。1998年のワールド・カップ以来、EURO2000を除きすべての大会に召集され、今大会で10大会目となるが、これは元ドイツ代表のローター・マテウスに並ぶ世界記録である。

12.サルヴァトーレ・シリグ(パリ・サン・ジェルマン/フランス)
2009-2010シーズン、21歳頃からパレルモでレギュラーに定着し、2011年にパリ・サン・ジェルマンに移籍。代表初召集は2010年2月、2010年ワールド・カップ後はコンスタントに代表に召集されている。長らく代表ではサードGKの立場だったが、ヴィヴィアーノやマルケッティを押しのけ、ここ数年はセカンドGKに昇格した。

13.マッティア・ペリン(ジェノア)
まだ21歳と若い選手だが、セリエAは今年で2シーズン目の挑戦となる。セービング能力に定評があり、ブッフォンの後継者に最も近い選手の一人だろう。

DF
3.ジョルジョ・キエッリーニ (ユヴェントス)「キングコング」
フィオレンティーナ時代は中田英寿と共にプレイしており、中田はキエッリーニの最も尊敬する選手の一人である。もともとは左サイドバックとしてプレイしていたが、2008年頃にセンターバックにコンバートされた。イタリア代表ではセンターバックと左サイドバックを兼任している。タックルのスキルは世界一と言えるが、熱くなりやすくカードをよくもらってしまう。ドリブルが上手く、積極的なオーバーラップも彼の魅力のひとつである。

15.アンドレア・バルツァーリ(ユヴェントス)「壁(The Wall)」
ワールド・カップは2006年大会以来、二回目の出場となる。2010年は召集されなかった。かつては「期待の若手」であった。その後低迷期に入るも、ドイツ・ヴォルフスブルクへの移籍により才能をふたたび開花させ、2010年1月にユヴェントスに移籍。当初は控えのCBとされていたものの、レギュラーを奪取した。カンナヴァーロを彷彿とさせる高い対人スキルと鋭い観察眼は世界最高と言える。ニックネームは「壁」

19.レオナルド・ボヌッチ(ユヴェントス)
ワールド・カップは2010年に続き二回目の出場となる。インテルのユース出身の選手だが、バーリで注目を浴びたことをきっかけに、1550万ユーロで2010年にユヴェントスに移籍した。ユヴェントスではすでに4年間不動のレギュラーを務めているが、年齢はまだ27歳と若い。ロングパスの正確さはイタリア随一であり、ユヴェントスの3バックはボヌッチ抜きには成り立たない。あらゆることを高いレベルでこなすことができる理想的かつ現代的なセンターバックだ。

20.ガブリエル・パレッタ(パルマ)
アルゼンチン出身のイタリア人、リヴァプールやボカ・ジュニオルズでのプレイ経験もある。今年28歳となる選手だが、イタリア代表は2014年3月に初招集となった遅咲きの選手。今夏、ユヴェントスへの移籍が噂されている。対人の守備能力が高く、ロングフィードもこなす大型DFだ。今シーズンのパルマでの活躍が召集に繋がった。

2.マッティア・デ・シーリオ(ACミラン)
この21歳の若手DFは、所属クラブとポジションを同じくするパオロ・マルディーニとよく比較される。クラブでは攻守に渡り安定したパフォーマンスを披露する。また右利きではあるが、左右両方でプレイすることができる。代表初招集は2013年3月で、昨年行われたコンフェデレーションズカップにも出場した。今シーズンは怪我に悩まされた。

7.イグニャツィオ・アバーテ(ACミラン)
U-21イタリア代表ではウィングFWとしてプレイ、ACミランでもかつてはMFでの出場が多かった。2009-2010シーズン頃からサイドバックにコンバートされ、次第にイタリア代表の常連に。スピードを売りにした攻撃的な能力を評価されている。EURO2012やコンフェデレーションズカップでもイタリア代表に召集されている。

4.マッテオ・ダルミアン(トリノ)
ACミラン出身、24歳の若いサイドバックで、2011年からトリノでプレイしている。イタリア代表での出場経験は無く、彼の召集は今回の最大のサプライズと言える。戦術理解度が高く、ミスも少ない。サイドバックとしては、デ・シーリオ同様に、左右両方でプレイでき、またセンターバックとしても起用も可能。今回のメンバーの中では最も使い勝手の良いDFだろう。今季はセリエAでウイングバック及びサイドバックとして28試合、サイドMFとして3試合、センターバックとして5試合、合計36試合に出場し、3アシストの活躍をした。


MF
21.アンドレア・ピルロ(ユヴェントス)「指揮者(Regista)」「脳みそ(The Brain)」
「レジスタ」の代名詞とされるほどの彼の比類なきボール・コントロールは説明するまでもないだろう。ワールド・カップは2006年、2010年に続き三回目となる。2010年大会は怪我で離脱し、決勝トーナメントから出場する予定だったが、イタリアが窮地に立たされると急遽グループステージ第三戦で途中出場した。ACミラン時代の弱点だった怪我の多さも、ユヴェントス移籍後はほぼ解消された。ユヴェントスのセリエA三連覇を最も支えた選手である。「中盤の底」でのプレイを得意とする選手だが、イタリア代表では左寄りのCMF(インサイドハーフ)での起用が目立つ。

16.ダニエレ・デ・ロッシ(ローマ)「剣闘士」「未来のキャプテン(Capitan Futuro)」
ユース時代からローマ一筋のロマニスタ。その風貌から「グラディエイター(剣闘士)」と称される。MFとして必要な全てのスキルが世界トップクラスであり、彼を世界最高のMFと評価する人も多い。EURO2012ではセンターバックとしてもプレイしたが、彼の攻撃力を活かしたかったプランデッリは、3バックの布陣がよく機能していたにも関わらず、その後デ・ロッシをMFに置く4バックの布陣に戻した。ワールド・カップは2006年、2010年に続き三回目。2006年大会ではグループステージのアメリカ戦で肘打ちをしたことでレッドカードをもらい、4試合の出場停止処分となる。今シーズンも、試合中の悪質なプレイが原因で代表招集が見送られることがあった。良くも悪くも、熱くなりやすい選手だ。

8.クラウディオ・マルキージオ(ユヴェントス)「王子様(Il Principino)」
ユヴェントス・ファンの父親の下に生まれ、7歳からユヴェントスに所属する生粋のユヴェンティーノ。難しいプレイも簡単にこなしてしまうボール・テクニックは、ピルロにも劣らない。MFの全てのポジションを経験した高い万能性を持ち、今季はフランス代表のポグバの台頭により一時は2008年以来はじめてレギュラーの座を奪われたが、その後中盤の底としての才能をも開花させた。2009年の初招集から、怪我を除けば、一度も漏れることなく常にイタリア代表に呼ばれている。

5.チアゴ・モッタ(パリ・サン・ジェルマン/フランス)
彼が最初に注目されたのはバルセロナでキャリアをスタートさせた20歳頃のときである。チャビ・エルナンデスやダービッツ、デコといった選手たちの後ろ、中盤の底でプレイした。その後アトレティコ・マドリッドを経てインテルに移籍し、チャンピオンズ・リーグ優勝に貢献した。その高い安定感や陰の貢献度から、ファンよりも監督からの信頼が厚い。かつてはU-23のブラジル代表でプレイしていたものの、フル代表はイタリアを選択した。2011年の初招集から代表に定着し、EURO2012にも出場。一時は代表のメンバーから外れるものの、今季から復帰した。バルセロナ以来、クラブ・チームでは中盤の底で守備的な役割をしているが、イタリア代表ではトップ下でプレイすることが多い。

14.アルベルト・アクィラーニ(フィオレンティーナ)「スワロフスキー」
ユース時代を過ごしたローマで才能を開花させた後、リヴァプールでは不遇のシーズンを過ごすが、ユヴェントスに加入後は再び高く評価される。ACミランを経てフィオレンティーナに移籍、入れ替わる形でミランへ移籍したモントリーヴォの穴を埋めた。プレイは素晴らしいのに怪我をしやすいという意味で「スワロフスキー」というあだ名が付けられているものの、今シーズンは一年を通して高いパフォーマンスを披露し続けた。

23.マルコ・ヴェッラッティ(パリ・サン・ジェルマン/フランス)
2011-2012シーズンのセリエBにおいて、ペスカーラのセリエA昇格に貢献した。彼もまた、アクィラーニや今回は怪我で離脱したモントリーヴォらと同じように「ピルロの後継者」と呼ばれた選手の一人であり、ボールコントロールやパスの能力が高い。2012年夏、ユヴェントスへの移籍が目前となっていたが、交渉が難航している間に、パリ・サン・ジェルマンが乗り出し、1200万ユーロで彼を獲得した。一部リーグでのプレイ経験のない選手としては異例の値段だ。クラブでは、世界的に高い評価を受ける選手が多く所属する中、弱冠21歳にしてポジションを確保し、破格の移籍金に充分に見合う働きをしている。EURO2012の予備メンバーに選出されていたが、本戦に進むことはできず、イタリア代表デビューは2013年2月のオランダ戦まで待つことになった。それ以降は定期的に召集されている。

6.アントニオ・カンドレーヴァ(ラツィオ)「大砲」
リヴォルノで才能を開花させ2009年、22歳でイタリア代表デビューを果たした。2010年冬にはザッケローニ監督が指揮を務めるユヴェントスにレンタル移籍で加入した。しかし、その後2年間は不遇のシーズンを過ごし、イタリア代表からも遠ざかった。2012年、ラツィオへの移籍をきっかけに再ブレイク、かつての弱点であったスタミナの不足やミスの多さは克服され、万能型のMFへと成長した。様々なポジションでプレイすることができるが、本職はサイドMFである。

18.マルコ・パローロ(パルマ)
今回召集されたパレッタやカッサーノらと共に、今季のパルマの躍進を支えた選手の一人。チェゼーナに所属していた2011年にイタリア代表でデビューし、EURO2012への出場も期待されていたが、それは見送られた。その後しばらく代表からは遠ざかっていたものの、2014年3月に復帰し、今回メンバーに選ばれた。イタリア代表に召集されている他のMFと同様に、万能型の選手であり、中盤からのダイナミックなシュートを評価されている。今シーズンは35試合に出場し、8ゴールをマークしている。


FW
9.マリオ・バロテッリ(ACミラン)「スーパー・マリオ」
15歳でプロデビュー、17歳からセリエA・インテルでプレイしていた。その後マンチェスター・シティーを経て、現在の所属チームのACミランへ。怪物的な破壊力を持ち、ピッチのどこからでもシュートを決めることが出来る。キング・ペレをして「世界最高のストライカー」と評されるが、精神的な未熟さは隠しきれず、レッドカードを受けて退場することも多い。

17.チーロ・インモービレ(トリノ)
ユヴェントス・ユース出身の選手で、現在も保有権の半分はユヴェントスが所持している。2011-2012シーズンに出場機会を得るためにセリエBのペスカーラに移籍し、28ゴールで得点王に輝く。次のシーズンは不調が続いたが、今シーズンから調子を取り戻し、セリエAの得点王に。今夏のボルシア・ドルトムントへの移籍が注目される。守備も献身的に行うFWで、FWとして必要なあらゆる能力を高いレベルに持つ。

11.アレッシオ・チェルチ(トリノ)
ローマ出身のセコンダプンタで、今季はインモービレと共にトリノの強力な攻撃を支えた。スピーディーなドリブルが売りの選手、右サイドから中に入り込んでの左足のキックは、精度・威力ともに抜群だ。2013年3月にイタリア代表に初召集され、コンフェデレーションズカップのメンバーにも選ばれた。ミランへの移籍が噂される。

22.ロレンツォ・インシーニェ(ナポリ)
ナポリ・ユース出身の彼は、ナポリターレ(ナポリのファン)から最も愛される選手だ。クラブのレジェンド、ディエゴ・マラドーナも彼を非常に高く評価している。2011-2012シーズンはペスカーラで過ごし、ヴェッラッティ、インシーニェと共にセリエA昇格に大きく貢献した。昨年のU-21欧州選手権では10番を務める。ポジションはセカンドトップで、おそらく今回のメンバーの中で最もドリブルの上手い選手だろう。2013年10月のイタリア代表デビュー戦でもその実力の高さを発揮した。ナポリのベニテス監督も、イタリア代表へ強く推薦している。

10.アントニオ・カッサーノ(パルマ)「バーリの宝石」
ローマ、レアル・マドリッド、ミラン、インテルと数多くのクラブを渡り歩いた。「悪童」の代名詞とされるほどにかつては精神的な未熟さが目立ったが、2009年頃からはまじめにサッカーに取り組むようになる。2010年ワールド・カップへの召集も大きく期待されたが、当時の監督リッピとの確執があり、メンバーから外れた。スピードやボディー・バランス、スタミナなどは持ちあわせてはいないものの、卓越したボール・テクニックを持って敵を圧倒する。EURO2012以降は代表から遠ざかっていたものの、今季のパルマでの活躍が評価され、代表にふたたび召集された。


今回落選した主な選手
GK ミランテ(サポートメンバーとして帯同)、マルケッティ
DF アストーリ、クリッシート
MF ジャッケリーニ、フロレンツィ、ポーリ、モントリーヴォ(負傷離脱)
FW ジラルディーノ、オスヴァルド、ディアマンティ、エル・シャーラウィー、ベラルディ、ロッシ

2014年6月21日土曜日

イタリア代表、コスタリカ戦の敗因とは

 今大会屈指の「死のグループ」と言われていたグループDで大波乱が起きている。ウルグアイの1位通過は確実だろうか。2位をイタリアとイングランドで争うことになり、コスタリカには気の毒だった。そんな予想が多くの人の間でされていたが、しかし蓋を開けてみるとこのグループで一番強いのはコスタリカであった。

 ワールド・カップ第二戦となるコスタリカ戦では、イタリアは初戦と同じく4-1-4-1の布陣を採用した。メンバーには若干の修正を加え、パレッタに代わりアバーテが、ヴェッラッティに代わりモッタが先発に名を連ねた。

 基本的な戦術はイングランド戦から一貫しており、イタリアは中盤の選手たちに自由を与えた。ピルロは自分の好きなように動いた。また、中盤ではないが、左サイドバックに入ったダルミアンも積極的に攻撃参加を行い、FWのようなポジショニングを取っていることもあった。この自由さがイタリアの攻撃を多彩にし、キーマンのピルロにゆとりを与えるはずだった。しかし、これは最後の最後まで上手く行かなかった。
 こうした自由によって狂うはずの歯車を、マルキージオ一人に修正させていたのが良くなかったのかもしれない。または、自由さが足りなかったところも否めない。自由さの不足が、マルキージオに過酷な仕事を要求させてしまったのだろう。イングランド戦では、この日のピルロと同じくらいか、それ以上に自由な選手がもう一人いた。ヴェッラッティは、本来のポジションが右よりのセンターMFであるにも関わらず、左サイドのライン際にも顔を出すなど、縦横無尽にピッチをふらふらと動き回っていた。
 しかし、そんな自由さがイタリアの攻撃を流動的ながらも安定させていた。ヴェッラッティが左に行けば、デ・ロッシが右寄りにポジションを移し、マルキージオも中央に入る。マルキージオとデ・ロッシというセリエA屈指の万能型MFの二人が真ん中にいることでチームが安定するのは間違いなく、その二人の間にピルロがいれば、2009年以来の中盤の構成がそのまま作られるだけだった。


 ヴェッラッティに代わり出場したチアゴ・モッタの長所は安定性である。強烈な個性は無いが、チームを安定させていく力に長けている。インテルでは、彼がいることで勝率が格段にアップしていたというデータもある。しかし、その安定性が、自由なイタリア中盤の風土に合っていなかった。ピルロが左サイドを上下に好き勝手に動き回る一方で、チアゴ・モッタの動きは比較的に本来の場所に固定されており、中盤を機能不全の状態にさせてしまった。
 チアゴ・モッタの位置が変わらないことで、デ・ロッシの仕事が後方におけるものしかなくなってしまった。ヴェッラッティやピルロが後方に入り込むことによって、デ・ロッシが前線に入るというイングランド戦で機能した一つの動きが、コスタリカ戦ではチアゴ・モッタが邪魔になってできなくなった。カンドレーヴァの中央への侵入も、チアゴ・モッタが邪魔になってできなくなった。カンドレーヴァが中に入りづらいから、アバーテの攻撃参加も冴えない。イタリアの攻撃は自然と左偏重になり、ダルミアン、ピルロ、バロテッリらのカヴァーやサポートをするマルキージオへの負担が尋常じゃなく大きくなってしまった。
 チアゴ・モッタに悪いところはない。全てのパスに成功し、インターセプトの数も前半しか出場していなかったことを考慮すると多い方だ。枠を捕らえることはできなかったが、惜しいシュートも一本あった。彼はただ自分の仕事をしたまでで、彼を出すということはこうした試合展開を作るということである。イングランド戦は彼を後半から出したことで中盤での守備のリスクが軽減し、中盤の流動性が無くなった一方で守備を重視した安定感を獲得することができた。


 チアゴ・モッタとこの日の戦術の相性が悪いことがわかると、プランデッリは後半の最初から彼に代えてカッサーノを投入した。5バックに対しての2トップは、FWが常に2人から3人の選手を相手にすることになって苦しくなるが、カッサーノを少しバロテッリの後方に配することによってその懸念を無くすことに成功した。カッサーノに対応するためにコスタリカのDFが後方から剥がされ、それが徐々に突破口を広げていった。
 チアゴ・モッタの交代によって中盤にスペースが生まれ、カンドレーヴァのボールタッチ数も増えたが、ここでカンドレーヴァのコンディションの悪さが確実なものになってきた。前半からドリブル突破に失敗するシーンは目立っていたが、後半に入るとパスのミスやセンタリングの精度の悪さが如実に現れてきた。プランデッリはここで、カンドレーヴァに代えてインシーニェを投入した。
 続いて、明らかに疲弊していたマルキージオも交代。チェルチが投入され、イタリアの布陣は4-2-3-1で固定された。だが、この「固定」が良くなかった。イタリアの持ち味である「流動性」が無くなったことで、個人の力量に頼るところが多くなってしまった。インシーニェにしても、チェルチにしても、カッサーノにしても、技術は高いから一人ならばどうにかなるが、常に二人三人を相手にする状況になると立ち行かなくなる。さらに、この3人の間で一種の遠慮のようなものもあった。右にチェルチ、真ん中にカッサーノ、左にインシーニェ。この配置が固定されてしまったせいで、ピルロやデ・ロッシから来るパスが完全にパターン化されてしまい、ますます前線にボールが行きづらくなった。3人のトレクァルティスティに大胆さは一切なかった。
 なぜこうなったのか。話は単純で、プランデッリが就任して以来の4年間、イタリアには常に最低3人のMFがいた。ピルロ、デ・ロッシ、マルキージオ、モントリーヴォの4人はほとんどの重要な試合に出場し、戦術的理由やコンディションの問題でこのうちの誰かが欠場する場合は代わりのMFが起用された。4-2-3-1も使ったことはあったが、その場合もモントリーヴォが二列目の真ん中に入ることで4-3-3と併用することになり、安定して流動的な攻撃をすることができたから、パスコースが限定されることも、攻撃がワン・パターンになることもなかった。
 プランデッリとしては、ピルロ、デ・ロッシ、マルキージオの3人で中盤を構成し、残りの時間をやっていきたかったのだろう。タイミングを見計らってバロテッリをインモービレと交代させれば、また違った攻撃の形が生まれ、コスタリカのDFを混乱させることができたはずだ。しかし、前半からのマルキージオのハードワークが祟り、60分を過ぎた頃から彼の足は完全に止まってしまった。結果から言えば、ここでマルキージオに代えて投入すべき選手は、中盤のヴェッラッティかアクィラーニだった。だが、どうしても点が欲しいイタリアは、ここでFWのチェルチをピッチへ送り込んだ。そうして、以上のようなパターン化された攻撃に終始し、イタリアはコスタリカの牙城を崩すことを最後までできなくなってしまった。チェルチが入って以降、つまり3人の中盤の体制がなくなって以降、イタリアは流れの中では一度も決定機を作れていない。プランデッリは交代枠の使い方に失敗したのである。


 次の試合はウルグアイ戦。イタリアはウルグアイに勝つか引き分けるかで、グループリーグ突破が決まる。スアレスが復帰したことで攻撃に以前の破壊力が戻ってきたウルグアイと、ニ大会連続のグループリーグ敗退はなんとしてでも避けなくてはならないイタリア。今大会屈指の好試合になることは間違いないだろう。

2014年6月15日日曜日

イタリア対イングランド「それでもやっぱり4-4のブロック」

 ワールド・カップ初戦の対イングランド戦においてイタリア代表はこれまでとは大きく異なる、またも新しいフォーメーションを使って挑んだ。
 イタリア代表は、9月から勝利が全くなかった。およそ10の試合を捨てて、従来使ってきた4-3-1-2や4-3-3、3-4-2-1とは違う新しい布陣を試し続けてきた。2013年の終盤には4-4-2を基本的な布陣として固め、2014年3月のスペイン戦でもこれを採用した。しかし、ワールド・カップのメンバーを招集した段階でもまだプランデッリは、最終的な判断を下していなかった。

 最後の強化試合となったルクセンブルク戦は、4-1-3-1-1というイビツな布陣で挑んだ。
 4バックの前にデ・ロッシを置き、その前にはマルキージオ、ピルロ、ヴェッラッティという3人のパサー、トップ下には運動量に定評があるカンドレーヴァが入り、バロテッリがワントップとして前方に構えた。中盤の深い場所からのオーバーラップに相手は上手く対応することができず、イタリアは多くのチャンスを作ることに成功した。
 ガッゼッタ・デッロ・スポルトなどを始め、多くのイタリアのサッカー・メディアがこの布陣でワールド・カップの最初の試合を戦うだろうと予想していた。
この新しい布陣に至る過程などはこちらで

 しかし、イタリアは実践経験のない、全く新しいものを採用した。
 形自体は、特に新しいものではない4-1-4-1だ。ポピュラーな布陣ではないが、今までにいくつかのチームが採用してきている。しかし今回のイタリア代表の4-1-4-1では、その中身に特徴的な点が多い。
 この布陣の中で自由な動きを許されているのが、ピルロとヴェッラッティの二人のMFだ。彼らは中盤の底に入ったデ・ロッシの前で、いわゆる「レジスタ」の仕事をするセントラルMF。パスの能力は頗る高く、長短問わずに正確なボールを蹴ることができ、パスコースを見つけるのも早い。所属チームであるユヴェントスとパリ・サン・ジェルマンにおいて、どちらもポジションに若干の違いがあるとは言え、敵陣を少し離れた位置からチャンスを演出する仕事を全うしている。
 この試合では、ピルロとヴェッラッティは縦横無尽に好き勝手に動いた。デ・ロッシを挟んで左側のピルロと右側のヴェッラッティという一応の定位置はあるが、そんなのはお構いなしといった様子である。特にピルロはデ・ロッシの位置に行くことを好み、ヴェッラッティは左サイドのライン際に顔を出すこともあれば、敵陣深くにも侵入した。
 この二人の自由な動きをカヴァーしたのが他のMF、とりわけデ・ロッシとマルキージオだ。ヤドカリがカラに篭もるかのように、ピルロが自陣深くのいつものお気に入りの場所へ移動すると、デ・ロッシはそれに対応してやや前方にポジションを取る。ヴェッラッティが左サイドに大きく移動すれば、これも同様にデ・ロッシが右寄りにポジションに移動し、またはマルキージオが中盤に入ることもあった。
 自由なピルロとヴェッラッティのカヴァーをするのは主にデ・ロッシと、それからマルキージオが担ったが、サイドMFとして出たカンドレーヴァとマルキージオには他の仕事があった。バロテッリのサポートである。無策にこのような4-1-4-1を採用した場合、バロテッリが孤立してしまい何もできなるから、マルキージオとカンドレーヴァにはFWやトップ下としての働きも多く求められた。彼らは頻繁に敵のボランチ(ジェラードとヘンダーソン)がいるところに顔を出し、中盤の3人とバロテッリの橋渡しの役を担った。

 守備に関して。プランデッリはこの1年間、4-4の守備ブロックを厚く信頼していた。ベーシックな4-4-2の布陣はこれを最もシンプルに行うことができ、先述の通り、スペインのような強豪国を相手に採用した。4-1-4-1であっても、プランデッリのこの軸は変わらなかった。
 4バックはかなり中央に絞って守りに入る。お互いの間隔は手を伸ばせば届いてしまうのではないかというくらいに近く、さらに横に綺麗に整列しているから穴がない。
 その前に立つのが中盤の4人だ。デ・ロッシとピルロは必ずそこにいる。残りのヴェッラッティ、マルキージオ、カンドレーヴァは、お互いに連携を取りながら、そのうち2人が中盤に入り、残った1人がバロテッリと共に高い位置でプレイをし、前線から激しくプレスをかけていった。ゾーンプレスがそこには徹底されており、流動的に中盤の4人のメンバー構成と位置取りは変化する。
 イングランド代表が人数と時間をかけて攻めようとする場合に限り、バロテッリをひとり前線に残して、ピルロとデ・ロッシとヴェッラッティが真ん中にDF同様に絞り、マルキージオとカンドレーヴァがサイドの攻防に出た。

 前半はこの布陣において少しの不都合が生じた。イングランド代表は伝統的にサイド攻撃を重視するチームであるため、サイドMFの質が高く、サイドDFとの連携もキチンと取れている。そのせいで、特に左サイドではマルキージオとキエッリーニが上手いように突破されるシーンが目立った。
 後半に入り、守備を弱点とするヴェッラッティに代わり、インテルやバルセロナでは中盤の底でプレイをしていたチアゴ・モッタが入ると、前半の課題が解決された。足下でボールをもらいたがるバロテッリに代えて、裏への飛び出しを得意とするインモービレを投入したこともこれに貢献し、さきほどの守備ブロックから無造作に蹴りだされたボールにインモービレが反応するようになった。カンドレーヴァとマルキージオが担当していた橋渡しの役も緩やかになっていった。
 カンドレーヴァを下げて、「器用貧乏」と揶揄されるほどにあらゆる役割を卒なくこなすことができるパローロが入れば、鬼に金棒。役割が多様に入り組んだ複雑な中盤は、さらに安定感を増し、疲弊したイングランド代表の手に負えなくなってしまった。

 これほど複雑な戦い方を平然とやってのけるチームは、ワールド・カップの出場国の中ではイタリア代表しかいないだろう。それは、万能型の選手を多く招集したからこそできることであり、MFのタレントが豊富にいるこの世代ならではの戦術だ。
 カッサーノやチェルチ、インシーニェなど、素晴らしい実力を持つ攻撃的な選手がこの試合ではまだ出ていない。バロテッリの能力もFWの正規のパートナーがいるとさらに良く発揮される。イタリアにはまだまだ隠し球があるのだ。
 イングランド戦に勝利したこと、さらに強敵ウルグアイがコスタリカに敗れたことで、イタリアのグループリーグの突破はずっと近くなった。もちろん、コスタリカを侮ることはできないが、優勢に試合を進めることができるだろうと予想される次の試合では、イタリアはFWに厚みを持たせた新しい戦い方を選ぶと考えられる。

2014年6月14日土曜日

CL決勝に続き、カシージャスの致命的なミスが失点に繋がる

 ひと昔前まで、イケル・カシージャスは世界最高のGKの一人として高い評価を受けていた。ジダンやロナウド、ベッカム、イエロといった名だたるスーパースターと共に弱冠20歳にしてレアル・マドリードの絶対的なレギュラーとなった。カリスマ性とキャプテンシー、そして世界屈指のセービング能力を持って、目指し得るすべてのタイトルを手にした。
 しかし、モウリーニョがチームの守護神にライヴァルのディエゴ・ロペスを抜擢して以来、試合に出場することが少なくなり、徐々にその名声に陰りが見え始めた。カシージャスの欠点である足下の技術の拙さを、モウリーニョは重く見たのだ。
 他のポジションとは異なり、GKの場合はスタメンから外されてしまうと、滅多に試合に出ることはできない。スーパーサブとして後半途中から起用されることもなければ、運動量の少ないこのポジションではターンオーバーの影響もあまり出ないからだ。モウリーニョの後任となったアンチェロッティもまた、GKに高い足下の技術を求める監督であったために、カシージャスは2013-2014シーズンにおいて15試合にしか出場できなかった。そのうちリーグ戦での出場はたった2試合だ。統計を見ると、Whoscored.comによれば、ディエゴ・ロペスの71.6%のパス成功率に対し、カシージャスは65.3%となっており、彼の弱点が如実に現れている。

 カシージャスの試合感が鈍っていることは、今シーズンの終盤からハッキリと目立つようになった。
 チャンピオンズ・リーグ決勝の対アトレティコ・マドリード戦、失点の原因は明らかに彼にあった。不必要で、中途半端な飛び出しによってゴールマウスを空けてしまい、ゴディンが苦し紛れに頭で合わせた弱々しいボールがいとも簡単にネットを揺らすことになった。
 これと同じミスを、ワールド・カップの第一試合、対オランダ戦においても犯した。オランダの左ウィングバック、ブリンドのアーリークロスに対して、「フライング・ダッチマン」を彷彿とさせる鮮やかなダイビング・ヘッドを決めたファン・ペルシーは素晴らしかった。全速力で裏へ走りながら後方からのボールに合わせるという難しいプレイを、カシージャスの位置を量りつつ完璧にこなすことができるのは、世界広しと言えども彼しかいないだろう。しかし、このファン・ペルシーのゴールは、カシージャスの犯した小さくも重大なミスを上手く突いたものであることを忘れてはならない。

ファン・ペルシーのゴールシーンはこちら

 基本的なことではあるが、GKはシュートを受ける際、一歩でも前に出たほうが処理をし易い。ゴールライン上に立っていれば左右それぞれ3.5メートルずつを守らなくてはならないのに対し、相手シューターに近付けば、立っているだけで全てのシュートコースを遮断することができるからだ。
 ただし、前に出れば出るほど、別の視点から見たときにゴールがガラ空きになってしまうため、例えばシューターが横10メートルの位置にいる味方にパスを出せば、ボールを受けた彼は無人のゴールを前にすることになり、こうしたリスクへの対処を含めた総合的な判断力がGKにとって最も重要なスキルとなる。
 その他の前に出たときの弊害として、ループシュートを打たれる危険性がある。同様にゴールライン上に立っていれば、ゴールの高さは2.4メートルであり、手を伸ばして少しジャンプをすれば失点を防ぐことができるが、前に出ると頭上の遥か上を行くボールも、放物線を描いてゴールに入ってしまう。ただし、ループシュートのリスクについては、思い切って前に出れば軽減させることは可能だ。最もマズいのは、中途半端に前へ飛び出してしまうことである。
 ファン・ペルシーのゴールシーンでは、彼の横には実質的にオランダの選手は誰もおらず、シューターは彼しかいないのであるから、カシージャスは一歩でも前に出て横のシュートコースを一切遮断するか、徹底的に後ろで待ち構えてシュートに対処するかの判断をする必要があった。前に出れば出るほど、横のコースが無くなる一方でループシュートを許すことになる。後ろにいると横のコースは広くなってしまうが、ループシュートの危険性はゼロになる。
 カシージャスは、この最初の失点において、最悪の答えを出してしまった。映像を見れば分かると思うが、ファン・ペルシーのシュートに対し、一度前に出た後に下がりながら対処をしている。前に出たことで上のコースを空け、さらに後ろに下がったことで左右のコースをも空けてしまった。カシージャスの一連の判断すべてが、ファン・ペルシーのシュートコースを上下左右に広げていたのである。

 カシージャスが前に出ていたことを走りながら知ったファン・ペルシーは、トラップをしてはすぐに寄せられてシュートコースを切られてしまうだろうという判断から、直接、頭で合わせたのだろう。加えて、カシージャスが前に出ていたから、彼はさらにループシュートを選択した。しかし、カシージャスの判断ミスを考慮すれば、ファン・ペルシーがボールに触れる瞬間に、カシージャスは一歩、また一歩と下がっていたのだから、トラップをしたところで彼には冷静にシュートを打つのに充分なスペースと左右のシュートコースが用意されており、つまりファン・ペルシーは何をやっても点を取ることができた。


 似たようなシーンが、2006年のワールド・カップにあった。決勝のイタリア対フランスの試合、右サイドからのアーリークロスに合わせたジダンのヘディングシュートだ。尤もすべての条件が一致しているわけではなく、このとき、ジダンの前方には何人かのイタリアの選手がいたため、ジダンにトラップの選択肢はなかったのだろうが、イタリアのGKブッフォンは後ろで構えることに専念した。そして、フリーで打ったジダンのシュートは、ゴールラインぎりぎりで構えるブッフォンまでの距離があったことから、ブッフォンには反応するのに充分な時間が用意されていた。

そのシーンはこちら

 カシージャスと共に、21世紀の最初の10年間において世界最高のGKと評されてきたブッフォンは、セービング能力や反応のスピードではそのライヴァルに劣ってしまう。身体が大きいために動作がどうしても重くなってしまうためだ。言い換えればブッフォンの反射神経は、世界最高のものではない。しかし、彼はそれを絶対的な判断力を持って、シュートに対する準備に少しでも長い時間をかけることで、数えきれないほど多くのスーパーセーブを実現させてきた。

 ブッフォンもカシージャスも、年齢を考慮すると、今大会が最後のワールド・カップになるかもしれない。21世紀に入って以来、常に世界のGKの頂点に君臨し続けた二人の集大成が、この大会において飾られることになる。いくつもの困難を乗り越え続けてきたカシージャスの再起を願いたい。

2014年6月12日木曜日

悲劇と誤算によって生まれたイタリア代表の新しい戦術

 モントリーヴォの離脱はプランデッリに大きな課題をぶつけることになった。
 直近2年の試合においてモントリーヴォはそのほとんどに出場し、イタリア代表の不動のレギュラーに定着していた。マルキージオ、ピルロ、デ・ロッシの前でトップ下としてプレイする彼は、所属クラブであるACミランでのボランチの経験とエッセンスを取り入れたパフォーマンスをし、プランデッリの信頼を着実に積み上げてきた。
 そんなモントリーヴォがワールド・カップまで二週間と迫ったところで負傷離脱した。今年中の復帰も危ぶまれており、ACミランも2014-2015シーズン前半を共に戦う、モントリーヴォの代役探しに奔走している。
 モントリーヴォが離れた席を獲得したのが誰であるのかはプランデッリにしか分からないが、彼の穴を埋める選手として最も注目されるのがマルコ・ヴェッラッティなのは間違いない。2年前、ペスカーラでセリエBを席巻した二人のパートナー、インモービレとインシーニェと共にメンバー入りを果たした彼は、すでに22歳にしてパリ・サン・ジェルマンでポジションを確保し、高い評価を受けている。モントリーヴォが負傷離脱をしたアイルランド代表戦、ルクセンブルク代表戦においても高いパフォーマンスを披露した。
 今までの傾向からして、モントリーヴォが外れたところは、実際にモントリーヴォを出さなかった試合において同じポジションでプレイをしてきたチアゴ・モッタやカンドレーヴァが担当するのが定石だが、このヴェッラッティの活躍はプランデッリに新たな発見をもたらしたと思われる。


ヴェッラッティという誤算
 ヴェッラッティは、視野の広さと精緻なパスを送る技術をもってピルロの後継者と言われているが、似て非なる所、ピルロよりも圧倒的に優れている部分も少なからずある。
 間違いなく言えることは、彼は今までのイタリア代表にはいなかった新しいタイプの選手だということだ。あえてプレイ・スタイルが似ている著名な選手を挙げるとすれば、クロアチア代表のモドリッチに近い。ボールを持ってから素早い判断で攻撃の糸口を見つけると、自分からそこへドリブルで仕掛けるわけでもなく、キラーパスを送るわけでもなく、チーム全体のギアを上げていくプレイを選ぶ。ユーヴェやACミラン、イタリア代表の試合を熱心に見る人であれば、ピルロのパス一本によって気付いたら点が入っていた経験があると思う。ヴェッラッティが得意とするものはそれではない。見落とすことはないが、実感としてチーム全体のリズムが上がっていることが明白に分かる類のものだ。ヴェッラッティの選択に周りの選手が連動し、攻撃のスピードがにわかに加速する様は観ていてワクワクする。要するに、いくつかの段取りを飛ばしてチャンスへ直結するピルロのパスとは全く違う、ひとつひとつの段取りはキチンと踏むがその展開が異様に早い演出をヴェッラッティは創りだすことができるのである。
 プランデッリからしてみれば、ヴェッラッティのこの潜在能力とチームへの順応性の高さは、この上なく良い誤算だっただろう。「ここにモントリーヴォがいれば」という妄想をしたくなる気持ちはたいへんよくわかるが、ヴェッラッティの台頭とい現実に目を向けてみても、悲観ばかりする必要がないことは一目瞭然だ。


従来の枠組みにヴェッラッティを組み込んだ戦術
 プランデッリは初戦のイングランド戦で特異な布陣を採用すると思われる。数字で表せば、4-1-3-1-1となる。「ダイアモンド型」は多くのチームにおいて使われてきたポピュラーな布陣だが、イタリア代表のダイアモンド型ではひし形の対角線の交点上にもう一人、選手が配置される。ひし形の中心でプレイするのはピルロだ。デ・ロッシは、ピルロのさらに後方からチームを操っていく。ピルロの両翼にいるマルキージオとヴェッラッティは、攻撃的MFとしての適正も充分に高い選手であり、その長所を生かして積極的に攻撃参加をしていく。トップ下のカンドレーヴァは、中盤のサポートをしながらFWとしての仕事もこなさなくてはならないが、器用な選手だからそれに苦労することはないだろう。
 イングランド代表を始めとする相手チームにとって最も厄介なのは、この布陣を制圧した過去のデータがほとんど無いことだ。4-4-2や4-3-3といった定番の布陣に対しては、何度も改良が重ねられた守り方が存在する。この法に則ることができれば失点をすることはなく、だからこそ「すべての選手が完璧なプレイを続けたらスコアは永遠に0-0のまま」なんていうミシェル・プラティニの名言が生まれ、その均衡を崩すことができる選手には「怪物」や「ファンタジスタ」の称号が与えられてきた。
 今大会のイタリア代表にはカッサーノやインシーニェといった、多くの人が連想するファンタジスタ像に当てはまる選手はいる。彼らはテクニックに長け、緩急を巧みに操ったドリブルを駆使し、相手を翻弄する。しかし、トッティやロベルト・バッジョ、デル・ピエロらと比べると、どうしても小粒感は否めない。実際に、この二人は直前までメンバーに入ることができるか否か、分からなかった選手である。
 だからといって、イタリア代表の躍進が期待できないわけではない。圧倒的なカリスマ性を誇る偉大なファンタジスタがいなくても、今回のイタリア代表は戦術自身がファンタジスタであるからだ。ピルロ、デ・ロッシ、ヴェッラッティ、マルキージオという世界トップクラスの配球力のある選手を中盤に置く布陣はまるで対策の目処が立たない。昔のように「ピルロさえ潰せばなんとかなる」とはならず、またいずれの選手も、パスの貰い手としての技術においても高いものを持っている。
 この特異な戦い方に慣れたところで、中盤の誰かに代わってチェルチ、インモービレ、インシーニェ、そしてカッサーノといったFWの選手が一人投入されるだけで、彼ら4人にはそれぞれ全く異なる個性が強く備わっており、このチームの様子はガラッと変わる。


 戦術そのものをファンタジスタにしてしまったプランデッリの腕には、頭が上がらない。交代枠の多彩さにおいても、従来のイタリア代表を凌駕する。キャプテンのブッフォンはベスト8を目標に掲げるなど謙遜の姿勢を崩さないが、優勝してもおかしくはない準備を進めていることは確かだ。